わたしを離さないで


カズオ・イシグロによる原作は未読。イギリスの田舎に佇む「特別な」寄宿舎で育った3人(成長後…キャリー・マリガンアンドリュー・ガーフィールドキーラ・ナイトレイ)の青春を描く。



冒頭の字幕からパラレルワールドの物語だと受け取り、青春ものとして観たけど、いまいち入り込めない部分もあった。「私たちと、私たちが助ける人たちと何が違うのか/誰もが『終了』するのに、生きる意味を知らないままで…」というラストのナレーションに、彼らに「生きる意味」について語ったルーシー先生が要なのかなと思ったけど(だってサリー・ホーキンスだし!)、腑に落ちない。
何度か出てくる全校集会のシーンにおいて、横一列に並んだ教員たち(なぜか皆、中年女性)。子どもたちの「運命」を知りながら、どういうスタンスで接しているんだろう?とある「世界」におけるミクロな物語と分かっていても、(一部の)舞台が学校じゃあ、どうしても、そこで行われている「教育」が気になってしまう。もっとこまかな描写があるだろう原作を読んでみたくなった。
子どもたちに与えられる「俗」っぽいものは、外の世界で「ごみ」となったものだけ。テレビや雑誌もないようだけど、トミーに対し、キャシーは感謝の意を示す頬へのキスを、後にルースは性的なキスをする。ああいうの、どこで覚えるんだろう?


とはいえ主役三人…私はキーラの顔はあまり得意じゃないから、キャリーとアンドリューを見てるだけで楽しい。オープニング、もさっとしたコートを着た後姿のシルエットに、ああキャリーだなと思う。二人ともああいう、どうでもいい感じの服が似合う。とくに寄宿舎にいるときのキャリーの格好は、ありあわせ感もありつつ可愛い。
キーラは髪型のせいかアゴばかりが目立ち斉藤洋介みたいだった。彼女のセックスは、「ポルノ雑誌見てるってことは欲求不満なのね」などととんちんかんなことを言う人らしい感じ(笑)でもキーラの魅力もあり、憎めないキャラクターになっていた。


話は変わって、先日初めて「エンド・オブ・ザ・ワールド」を観た。

エンド・オブ・ザ・ワールド 完全版 [DVD]

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渚にて」(小説)の再映画化(TVムービー)。59年の映画「渚にて」に比べあらゆる要素が「現代」化されているのは当然ながら、全ての場面が説明過多、死体や暴動をはじめ様々な描写が付け加えられ、3時間以上の長尺。でも面白かった。
「わたしを離さないで」を観ながら、状況は全然違うけど、どちらも未来を断たれた者の話だなあと思った。未来があるからこそ色んなことに意味があると思うけど、それでも、そういう時でも人間って「人間らしい」ことをするのかもしれないなあと。