二ツ星の料理人



私にはどうも、この映画は、全ての人間が、ブラッドリー・クーパー演じる主人公アダムの魅力、しかも例えばワークアウトして得られる類の美でも料理の才でもない、生まれながらに備わった匂いとでもいうようなものに魅せられ、関わらずにはいられないというお話に思われた。
かつての修行仲間のミシェル(オマール・シー)の「そんなに扱き使うと彼女もお前と同じ道を辿るぞ(一拍置いて)俺は以前の彼女が好きだ」とは、昔の(それこそ「angel face」だった頃の)お前が好きだったという告白に相違ないし、アダムの「非・人間的」な生活の後処理をして回るトニー(ダニエル・ブリュール)は、エレーヌ(シエナ・ミラー)の顔を見ているうち、自分と同じ穴に落ちたと分かって笑う。


オープニングは市電に乗っているアダムのナレーション「牡蠣やりんごは神の作ったものだから色々いじるなと師匠は言ったが、挑戦も必要だ」。彼はどんなシェフなのだろうと興味を惹かれる。
冒頭、アダムは担当の精神科医(やたら可愛い衣装のエマ・トンプソン)に向かって、「レストラン」の在り方につき「『七人の侍』に憧れている」と口にする。「時代遅れ」のエスカルゴや内装を用い、近年の調理法を「コンドーム」を使うなんてと馬鹿にする彼のold schoolぶりを表しているのか、あるいは彼が当初は「七人の侍」の精神を真に理解していないという話なのか、頭では分かっていても厨房に入るとその様に振る舞えないという話なのか、それとももうそんな「昔」のやり方じゃ通用しないという話なのか、考えながら見ていたんだけど、結局よく分からずじまいだった。おそらくどれもありなんだろう。


バーガーキングで待ち合わせしたエレーヌとのやりとり「ここと君のレストランとの違いは何か分かるか?この店の問題点は味の一貫性だ」「一貫性はシェフにも必要だわ」「シェフに必要な一貫性は味のそれじゃない、ゴールは同じでも過程を色々試さなきゃ、セックスと同じだ」が面白い。因みにしばらく後の「最後にオーガズムを感じたのはいつだ?」しかり、何かにつけてセックスに結びつけて表現するところも「昔」の人間ぽく感じる。
ヒラメをダメにしてしまい追い出されたシエナは、翌朝も自宅でヒラメを料理し、「また?」と言いつつ食べる娘(何とも魅力的な子、髪がもしゃもしゃ多いのがいい)に「昨日より美味しい?」と訊ねる。昨日より、がアダムとエレーヌの共通点である。「軌道に乗った」ように見える時、アダムはかつての恋人のアン(アリシア・ヴィキャンデル)に対し「長い道のりだけどこれから頑張っていく」と宣言する。


エレーヌの娘が、母親のあまりの多忙に壊れそうになるも店での誕生祝いで持ち直したり、「僕を愛さない代償なら要らない」と言っていたトニーの気持ちがキスで落ち着いたり(確かにあれは「代償」じゃないけども!)するのは、それでいいのかと釈然とせず。しかし考えたら、全ては「アダムの与えた『甘いもの』」で解決しているのだった、そういう映画なのだ(笑)
面白いなと思ったのは、多くの人間が通院しているところ。アンは「ミラノで治療を受けてドラッグから抜け出せた」と言うし、アダムとトニーの「現在進行形」の毎日にはエマ演じる医師によるセラピーが含まれている。アダムがある大切な朝にも彼女のところへ出向くが、この時の「内容」が描かれないのが想像力をそそりよかった。