シリアスマン



本作の上映に関する「監督主義プロジェクト」(公式サイト)の謳い文句「アカデミー賞受賞監督たちが本当に撮りたかった映画はこれだ!」の意味はよく分からないけど、コーエン兄弟が撮りたい映画ってこういうのかあと思った。徹頭徹尾「ユダヤ」にまつわる内容なので伝わってない部分も多いんだろうけど、面白く観た。映画としてのセンスは、そういうのが分からなくても楽しめる。


トルストイの劇の一幕みたいなへんてこな小話が終わると、ジェファーソン・エアプレイン「Somebody to Love」に合わせてキャストの名前が次々に飛び出してくるオープニングが気持ちいい。同曲で閉められるラストにも、これまでの作品にない快感を覚えた。とにかくきっちりしてるところが好み。
無防備な中腰で登場する主人公…おそらく「呪われた」ユダヤ系の中年男性が、「一難去らずにまた一難」状態に首まで漬かっていく様子が描かれる。


冒頭アップになるのは、主人公の息子(と後で分かる)が授業中に聴いているラジオから伸びたイヤホン。コードがやたらくねっている。これは教師に取り上げられ、ラストまで彼の手を離れる。自宅では「厄介者」の叔父さんが「吸い込み器」を常用しており(こんなの本当にあったのかな?)、このコードも相当くねっているのが印象的だ。
主人公が屋根に上ってアンテナを直す場面では、ラジオのチューニングなんかもそうだけど、手探りでぴんとくるものを突き止める感覚、最近忘れてたなあと思った。


中盤ふと、主人公以外の視点でこの世界に触れてみようとしたものの、うまくいかない。そんな所へ「第一のラビ」が「車を初めて見たつもりになるんだ!」「人生は駐車場だ!」などと「視点の転換」を持ち出すもんだから、見透かされたようで驚き楽しかった。