ホットロード



先日ニュースで目にした、能年玲奈の「テレビも映画も男だらけ」云々発言に何て素晴らしい人だろうと思ってたところに、上映前、女の子ばかりの出演者がきゃーきゃーやってるのをおじさんばかりのスタッフが撮ってる「という内容の映画」の予告が流れて、ほんとにそうだよなと思う。


公開初日、新宿ピカデリーにて観賞。一番大きなスクリーンが大入り。初日に行くつもりは無かったんだけど、「実家でも(持ってたはずの単行本)探してたし、見つからなくて買ってた位だから、よほど見たいんでしょ」と言われて、確かに見たいなと思って(笑)
連載当時(1986〜87年)はむしろ苦手だったけど、ごりごりの集英社育ちとしては、オープニングクレジット、湘南の海原に浮かぶ「原作 紡木たく」の文字に深い感慨が。


漫画である原作のオープニングは、一枚画と見開き表紙に渡るモノローグ。この物語が「回想」であること、主人公の「回想」に対する距離感が分かる。映画はそれが出来ないからどうするかというと、まず暗い中にバイクのうなる音、それからモノローグに合わせてバイクのパーツ、バイクの後ろに乗る者、更におそらく、そのことを思い出す者の視点によって情景を紡いでいく。誠実な映画だなと思った。原作と違い、能年玲奈演じる主人公・和希に物理的に大いに寄るも、そう大仰な演技をしないのでげっぷが出ることなく見られる。
印象的だったのは音の使い方。冒頭、和希がハルヤマ(登坂広臣)を意識し始めるまで、彼が登場すると全てが消えて無音になるのがいい。トオルさん(鈴木亮平)に指を舐められた後のフロントガラス越しの横顔(でもここは絶対に「宏子さんが…おこった」だと思うんだけど!)、襲われて逃げて隠れているところに「なめてんのかよ」。ガソリンスタンドや喫茶店などといった流行歌が聞こえそうな舞台を静かに撮り、ラストの「OH MY LITTLE GIRL」に全てを託しているのも効果的。


単行本で言えば(今では「長編」とは言えない)4巻程度の量とはいえ、内容が上手くまとめてあり見易かった。未読の人にはどうだろう?原作に何度か出てくる「愛してる」という言葉(「そのまま」使われるわけではない)が省かれていることには意図を感じた。二人が自分の前に道があることに気付くまでの物語だから、「愛」なんてまだ早いってこと?
リアルタイム世代には「電話」や「靴下」などで一見して明らかだけど、「80年代」の描写をそうだと分かる程度に抑えているのは、あらゆる世代の人が感情移入しやすいようにそうしてるのかな、上品だなと思った。しかし当時の「不良」文化の描写が一切無いことにより、和希がハルヤマによって彼の家に運ばれた際に弟や母親(松田美由紀)に掛けられる言葉の意味がよく分からなくなってしまっている。それを言うなら、例えば家出の後の「この人(宏子)と住むことになるなんて」も、「宏子さん」(太田莉菜)の印象が薄いから妙に聞こえるし、ハルヤマが女の子達に掛ける「やっちまうぞ」も、彼の「女」に対する態度が描かれていないから唐突に感じられるんだけども。


漫画では登場人物の顔をぼやかして描いたり姿を小さく描いたりすることで、その人物が主人公から「遠い」ことを表現できる(だからといって作品にとって重要でない訳ではない)。原作では、14歳の和希にとって「遠い」存在である、例えば学校の先生などはそういうふうに描かれている。しかし映画では出来ない。冒頭「胃ぐすり」先生がやたら「はっきり」登場した時にはどうなることかと思ったけど、漫画では「眼鏡の奥の目が描かれない」、少々うさんくさい高津先生(利重剛)の描写はよかった。和希が食中毒で運ばれた病院に母親より先に到着しているカットなど、原作には無い画なのに、作中最も「原作の空気」を醸し出していると言ってもいい(笑)
ママと鈴木くんの描写は難しい。原作を知らずに見たら、ママ(木村佳乃)は「子どもかよ」、鈴木くん(小澤征悦)は「わざとらしい」と感じるかもしれない。でもあれは実に原作通りで、あの話はああいうふうだからいいと思っているので、あのままでよかった。子どものまま親になったママ役の木村佳乃の演技が、(「子ども」役である)能年玲奈を「真似ている」ように感じられたのが奇妙で面白かった。「きらいなわけないじゃない」の次の場面で突如「エプロン」をしているという演出はいただけない(笑)
役者では、リチャード(と私には分かるけど、名前出てきたっけ?)役の落合モトキがよかった。「桐島、部活やめるってよ」で私が一番いいなと思った男の子を演ってた彼。本作なら終盤の病室前の大ネタ(笑)より、会話中のちょっとした表情などに惹き付けられる。


とても気に入ったところがある。うちに帰らないばかりか学校へも行かない和希を、ハルヤマが校門のところまで送って…いや連れて行く場面。原作では他の生徒達とのやりとりや、他の場面での「ハルヤマが居ると落ち着く」というナレーションにより、和希にとってハルヤマが、子どもが世界に出て行く際に「帰る場所」とする保護者のような存在でもあることが分かるんだけど、ここではそれらの描写はない。でも、ほぼ二人だけの場面なのに、そのことが「分かる」。ここでの和希の「ハルヤマを一人にしない」との内心のセリフは、原作では全く違う場面でもっと切実に吐かれる言葉なんだけど、本作ではハルヤマに守られる彼女が自身では彼を守ろうとしているという、ちょっと面白い味付けになっている。
包帯を巻いたままのハルヤマが「トオルなんかいなくてもオレが」と叫ぶ場面もいい。「暴走族」の場面はあれだけでも十分なくらい(笑)ほんの1、2コマであれを描く原作には無い、カメラがちょこっと上ってくところが、最近なら「横道世之介」じゃないけど映画ならではの気持ちよさだった。