ぼくの好きな先生


早稲田松竹の二コラ・フィリベール特集にて久々に観賞、2002年フランス制作。序盤は子ども達がこちらをちらと見てくるのが授業参観あるいは研究授業…という既成の、日本の言葉はしっくりこないけど…に参加しているようで楽しい。牛のそんなように見える目つきまで入れてくるんだから面白い。

全学年(3歳から11歳!)の全科を一人で受け持つロペス先生の仕事、ひいては場の特殊性を、映画はこちらの視界を少しずつ広げて少しずつ明かしていく。小さな子が塗り絵をする一方で大きな子が計算している。先生との会話で聞く・話す、教材で読み書き、それから算数、家庭科や体育に相当する学習までが行われている。小さな子は大きな子が先生と勉強している間は声を潜めて喋り、大きな子は小さな子の面倒を見る。やがて三つの島に分けられソファや自然物が適切に置かれた教室の全景を望む。中学校へ皆で見学に行ったり合格発表をいつもの席で行ったり(小さな子が後ろに立って聞いているのがすごい、日本の教師なら声を掛けて下がらせるだろう)するのが面白い。常に全員一緒で先生は片時も離れられない。しかも学校に住んでいるんだから何て仕事だと思う。

子ども達の自宅学習の様子を見せる前に家業のカットが挿入されるのには地域や保護者への敬意を感じた。母親にはたかれながら九九を暗唱するジュリアンの周囲に家族が大集合する様子など最高に笑えるけれど、こうした場面も一切物語に与しないのが見事、あざといくらい編集がうまい。ただただ疑問と気付き、それから何とも言えない感情が湧いてくるという稀有な映画体験ができる。

「うちの子は私と同じ双子座なんですけど」なんて言い出すナタリーの母親との面談中の先生の、職務を意識しつつも大人同士の自然な笑顔には引き込まれた。「先生は命令する、私たちは命令を聞く」と小さな子が(!)言っていたけれど、権力差がある場合、特に笑いはコントロールされる必要があり、先生はそうしているから。しかしこの映画はそんな先生のちょっとした感情の漏れ…「またか」なんて言葉や苦笑なども捉えている。教職が本当に好きで、信じられないほど頑張ってきていても、あるいはそれだけに、私には定年を控えた先生が一杯いっぱいにも見えた。「また書き取りか」は退職について話すためにわざと口にしたようだったけど、「やりたいことがたくさんある」のは本当のように思われた。

冒頭文字を書くための練習において皆で評価するフィードバックを行う際、「誰にも見せない」と言っていたマリーがすんなり紙を渡しスムーズにことが運ぶのは、子どもの了解、すなわちこれまでの積み重ねがあるから。私達が見る「教室」は常に「途中」である。しかし、大抵は日本で言うところの学級開き(初日)にスタートして積み重ねられていくのが、ここではその特殊性ゆえ常に途中も途中。それが初めてある「終わり」を迎えるのが映画の幕切れとなる。中学へ進学するナタリーへの「これからもおいで」が疑問と共に心に残る(先生いわく「子どもにとって一番重要なのは能力を発揮して幸せになること」)。