ソウルメイト


(以下「ネタバレ」しています)

序盤はオリジナルにない要素である「教室の空席」「雨に濡れた子猫」などをクリシェに感じて乗れなかったけれど、ミソ(キム・ダミ)とハウン(チョン・ソニ)が文通するあたりから引き込まれる。私にはこれは「女は旅ができない」世界で愛し合う女二人がどう生きるかという話なんだけど、それを活かした終盤の展開やラストシーンが妊娠や出産、「女の死」によって成り立っているのが、つまりストーリーそのものが受け入れ難い。それによって美しく描かれる女同士の愛が、その内部だけに留まっている感じも。

社会性が少し付与され現実的が少々増した本作には、不自然さを感じると同時にそれゆえの面白さ、はっきり見えることもあった。例えばハウンの誕生日の朝。ミソは「占領している」廃墟で(使われていない建物を女子が勝手に使っている映画に私は弱い)並んで海を眺めながら外国を旅して回ろう、一緒に行こうと話す。この物語では二人とも、いや女は誰もその類の旅はしない。ミソが済州島を出たのはやむなくであり、ハウンの旅を欲する気持ちはまだ埋まっている。

釜山旅行のディナー。出会った日のハウンの家での夕食の席から分かっていたことだけど、この物語には親にお小遣いをもらえる子とそうでない子の人生の違いが描かれている。嫌いなものを食べないという甘えもきついブラジャーをつけるという忍耐も親の元だからすること。一切出てこないミソの父親(序盤で母親が話しているのがそうなのかどうか分からないけど)と出ずっぱりのジヌ(ピョン・ウソク)という二人の男が女達に大きな力を振るっている話だとも言える。

ジヌのソウルの部屋の風呂場。結局はミソも、おそらく男の力を借りるためにブラジャーをつけるようになっている。オリジナルでは「ミソのことなんて誰も愛してない」だったのが「愛してるのは私だけ」になっている、あるいは同じことなのか。実家暮らしのハウンと家を追い出されたミソが男の部屋で男抜きで対峙する。釜山のシーンでもオリジナルより前面に出ていたけれど、リメイクではお金の問題が強調されている。

ハウンとジヌの新居のカットと「初めて実家を出たから」とのセリフで、彼女が親の元から夫の元へ、男が運転する車から車へ乗り換えるように生きてきたのだと分かる(だからミソとハウンの二人乗りに大きな意味、輝きがある)。彼女は男の後ろ姿に気付いてしまう、愛する相手には好きなように旅してほしいと願うものじゃないかと。オリジナルからの改変のうち、この場面と結婚式に逃げるのがハウン自身である点に一番韓国らしさを感じた。彼女が飛行機が苦手であること、「ミソ」の名前の意味などの設定も活きている。

最後の展覧会の場面で、ハウンの方も同じようにミソを見ていたことが分かる。それからハウンの人生の過程の全てに愛があった(と二人が考えている)ことも。これもオリジナルにはない要素で、目線がずいぶん優しいなと思った。