コンクリート・ユートピア


(以下「ネタバレ」しています)

原作漫画と異なるタイトルは、参考にしたアパート研究書からオム・テファ監督が取ったんだそう。近年の韓国ドラマ、例えば『賢い医師生活』(S1、2020)にはアパートのチョンセ(保証金)詐欺、『悪霊狩猟団 カウンターズ』(S2、2023)には分譲詐欺が出てくるが、この映画の根底にはまず、そうした不正がまかり通っている社会に生きる庶民の憤怒がある。被害者であるヨンタク(イ・ビョンホン)は「あいつらは決して裁かれない、騙せるやつを選んでるんだ」に我を忘れて搾取の中間層の家主に殴り掛かる。アパート代表に選ばれ前に立つもおどおどしていたのが、地元の国会議員とその秘書らしき男の「誰だと思ってるんだ」に態度を豹変させ、強硬に彼ら「よそもの」を追い払う。

ヨンタクを突き動かすのは不正への怒りと「家長」への幻想である。詐欺の被害者となったことで妻子を危険に晒し「解決できないじゃない」と見離されるもアパートという新たな家を得、婦人会長のグメ(キム・ソニョン)ら女達が嘆く食糧不足を「解決」せんと「狩り」に出向く。元軍人の彼を先頭に進む「16歳から60歳までの健常男性」とは批判的に言われるところの「彼らを基準に社会が作られている」存在だ。やがて略奪で家族を食べさせることに行き詰まったヨンタクは怒鳴り散らしたあげく自身の立場を揺るがしたへウォン(パク・ジフ)を突き落として殺す。「外に出ないお前に何が分かる」「雌鶏鳴けば家滅ぶ」などに家父長制の根がミソジニーだと表れている。

一方のミンソン(パク・ソジュン)も妻ミョンファ(パク・ボヨン)に向かって「おれの言うことを聞いてくれ」程度のことは口にする(少し前なら彼はヨンタクの前で「言うことを聞かせますから」とも言っていただろう、この映画には時代の変化を表す細かな描写、あるいは描写の無さが多々ある)。しかしヨンタクを長とする大きな家の妻であるグメが「必要なのは自己犠牲」「食べるのは働いた分だけ」を原則としていたのと逆に、ミンソンの家の妻は夫を他者を傷つけることから、それによる精神崩壊から守っていた。ヨンタクもミンソンもいわば家で死ぬが、人にとって家とは何かという話だ。ミンソンの「間違っていなかったのはきみと結婚したことだけ」とはそういうことだろう。

災害時に見知らぬ女性を助けたくても出来なかったミンソンは、ゴキブリを払いのけて持ち帰った缶詰を被災者親子から隠れて妻と食べようとする。私がミョンファの立場ならどうするか…パートナーも自分もそんなことはしないと思っているけれど、あの甘い桃を食べたことがない、そこまで飢えたことがないからそう言えるに過ぎない。外部の人間の処遇についての投票の晩のミョンファの「どっちに入れた?」にミンソンは「夫婦でも言わないものだ」と返すが、ああしたことを明かし合えるのも食べるものがある時だけなのかもしれない。

パク・ジフ主演のドラマ『今、私たちの学校は…』(2022)序盤に賃貸アパートの学生は分譲アパートの敷地(学校への近道)に入るなという表示が出てくる。本作のミンソンも「防衛隊長は持ち家でないと」などと言われるが(この場合は同じアパート内だが)そういう差別意識があるわけだ。苦難の末に手にしたアパートは時に個人のアイデンティティとなり、それが更なる分断、悲劇の元となる。ちなみに上記ドラマで私は初めてゾンビものにおけるうんこ問題に接したものだけど、本作も早々に排泄物処理に触れる。袋を捨てに行く若い女性への中年男性のにやけた「重そうだな」とはありそうな嫌がらせだ。生理はどうしているのかと思っていたら、剥き出しなのがリアルなナプキンを分け合うことで人間性を示す。兵役の影響もあってか男女の役割がきっぱり分かれているけども、女性描写にはかなり配慮がなされていると感じた。