国際市場で逢いましょう



大好きな「王になった男」を超える韓国の歴代興行成績を記録、というのに興味を持って観賞。父と妹と生き別れ、幼くして「家長」となったドクスの人生を描く。


(以下「ネタばれ」です)


一匹の白い蝶が、アメ横を思わせる現在の国際市場を案内しながら釜山港を見下ろす建物の屋上へ私達を導く。老いたドクス(ファン・ジョンミン)が妻のヨンジャ(キム・ユンジン)に追えなかった「夢」を明かしている。場面替わって、ドクスは自らの雑貨店に立ち退き勧告に来た若者を追い返す。孫に「メモリって何?」と聞かれ「メモリーとはあれだ」と、頭に荷を乗せたり天秤棒を担いだりしている少女達の銅像を指す。すれ違いざまに若者にぶつかり孫の手を離してしまいそうになるところで意識が過去へ飛ぶ。これらのエピソードはどれも唐突でぎくしゃくして感じられるが、以降は惹き込まれる。


1950年、朝鮮戦争の最中の興南港。退却しようとしている米軍の艦船にて、荷を捨てても避難民を乗せるよう米軍側を説得する韓国側の軍人の姿が大映しになる。幼いドクスと両親、弟妹はメレディス・ビクトリー号に乗り移ろうとする。大混乱の中、縄梯子から落ちた者達が下の小舟に体を打ちつける描写、冬の海に凍りつく描写は容赦ない「韓国映画」のそれだ。舞台が釜山に移り、「ギブミーチョコレート」でチョコをもらったドクスとダルグ(青年期以降、オ・ダルス)が年長の少年らに暴力を振るわれているのを、他のことに夢中の大人達が誰も助けない様子も非情に映る。


西ドイツの炭鉱での過酷な労働を終え帰国したドクスは、自らの建てた家に落ち着く間も無く、妹の嫁入りと店を買い戻す資金のためにベトナムへ働きに出る。「技術者だから戦地じゃない場所でバカンスみたいに暮らしてる」という(家を発つ前にも口にした)ヨンジャへの手紙の文面が、戦争中の国に「平和」は無いのだと分かる場面に重なる。ベトナム戦争が終わるのは75年、私が生まれた頃だ。この一幕にはユンホ演じる国民的歌手ナム・ジンが登場、直前の「現在」パートでドクスが他の歌手を貶してでも彼に傾倒している理由が分かる仕組みだ(それにしても折角の「デート」であんなにぷんすかすることはないだろう、私が妻なら嫌だ)


ドクスの…国民の暮らしが落ち着いた80年代、朝鮮半島の分断による離散家族を探すテレビ番組の企画が始まる。子どもの頃に見た中国残留孤児の同様の記憶と重なるも、実際の映像も使用したこのくだりには圧倒される。高層ビルを臨むホテルで待機中のドクスが呼び出され大慌てでスタジオ入りし、司会者にひとまず「こんにちは」と言うのがいい。熱量の高い画面やテレビに釘付けの街の様子に、人々の「親族」への執着が異様にも感じられ、同時に、私がそんなことを思えるのも今がとりあえず「平和」だからだと思う。ちなみにドクスと妹とが身元を確認し合う場面、彼女はなぜ最初にあの服を見せないのか、自分があの立場だったらと想像してみたけど、難しかった。求めていたものに辿り着く恐怖のようなものがあるのだろうか。


ドクスが「家長」として生きてきたのは、父親と生き別れる時に「これからはお前が家長だ、家族を守るんだ」と言われたから。釜山に身を落ちつけてから、はぐれた妹をなぜ探さないのかと詰め寄るドクスに母親は「もし火事になってお前だけが家の中に残っていても私は助けられない、弟と妹を育てなきゃならないから」と「家族を守る」ことの厳しさを教える。これは父親の言葉の補填となっている。映画のラスト、ドクスは家長として生きるのは本当に、本当に辛かったと自らの中の父にすがりつき泣き崩れる。彼のこの姿を妻や子らは知らない。いつか、家長のこうした心に家族が触れる映画も作られるのだろうか?


この映画が「うまい」のは、このように、ドクスが「家長」として生きたことに「理由」づけをしているところ。他にも、例えば炭鉱作業員の面接時に愛国歌?を歌う場面や、「家族のためじゃなく自分のために生きて」と懇願するヨンジャとの言い合いの最中に国旗下降式の時刻になり国旗に敬礼する場面など、「愛国的」な描写には、常にそうしなければならない「理由」が設定されている。ヨンジャは近くの老人にじろと見られて立ち上がる。そのため映画はどっちつかずの、いわゆる「ノンポリ」の色を帯びる。そういう姿勢は私は好きじゃない。


とはいえヘイトスピーチはよくないとの主張があるだけでも、この映画には「意義」がある。「現在」パートにおいて、「外国人」の男女に暴言を吐く学生達にドクスが食ってかかる。男女は「自分で稼いだ金でコーヒーを飲」み、韓国語を喋る(そして、努力の証であるこれらのことについてこそ暴言を浴びせられる)。映画はそこで「過去」に飛び、ドクスもかつて西ドイツで働いていたことを明かす。ドクスら韓国人が興南撤収の際の米軍と同じ立場になりベトナム人を救う場面しかり、主人公のいわば「政治的」な言動全てが自らの経験に依ると解釈せずにはいられない描き方が全編に渡ってなされる。


西ドイツで出会って間もない頃、やはり看護師として出稼ぎに来ていたヨンジャはドクスに「私がどういう人間だか気にならないの?家族のこととか」と訊ねる。ドクスは「分かるさ、貧しい家の長女で、弟や妹がヒナみたいに口を開けて待ってるんだろ」と返し、彼女は何も答えない。映画が終わると、この時のドクスのセリフは「正解」だったのだろうと思えるが、このやりとりがあるため却って、作中ヨンジャ側の家族の描写が一切無いことが引っ掛かってしまう。彼女のみならず妹や弟、パートナー(妻よりも余程そうだろう)のダルグに至るまで、「ドクスの大変な人生」を盛り立てる役割しか担っていないように感じられる。


冒頭、立ち退き勧告に来た若者を追い返すドクスの姿に、映画のタイトルでもある「国際市場(原題)」に愛着があるのかと思いきや、最後に彼はあっさり売却を決める。そもそもドクスがこの雑貨店にこだわるのは、父が「いつかあの店で会おう」と口にしたからであり、彼は老境に至るまで店に居ることは殆ど無く、街の人達と交流があるわけでもない。ドクスは父の言葉によって幼くして家長になっただけでなく土地にも縛りつけられていたのだ。映画のラスト、それらから解放された彼は店を売ることにし、事情を知らない妻は喜ぶ。主人公がその土地から解放されるという結末を迎える、珍しいタイプの「立ち退き」映画だと言える。