ブルーバック あの海を見ていた


予告からは内容が掴めなかったけれど、オーストラリアの映画を見ようと出向いてみたら面白かった。主人公が「ブルーバック」(大きな魚、ウエスタン・ブルーグローバーに彼女がつけた名前)を他の人間から守る場面は無声映画のようで、力強いスリルとエモーションに満ちていた。

母親ドラ(「現在」をリズ・アレクサンダー)が脳卒中で倒れ「まだ」話せないとの連絡を受けた海上のアビー(「現在」をミア・ワシコウスカ)は、電話の相手に「私を見つけてくれてありがとう」とお礼を言って実家へ帰る。作中には多くの死、あるいは死への接近が描かれる。幼馴染のブリッグス(クラレンス・ライアン)は彼女を慰め「死は平等だ」と言うが、人間に対しものを言えない動物が人間の行為によって死ぬ場合そうは言えない。ドラが話さないのはそのセリフ「太陽は沈む前に最も輝く」に繋がるが、私には、「ここに住む」ことができなくなると悟った彼女の最後の社会運動のようにも思われた。

回想の幕開けはアビー8歳の誕生日。ドラ(ラダ・ミッチェル)は今日でなくてもと不平をこぼすアビーを連れて海へ出て、やめてと言われながら結婚指輪を落とし拾いに行かせる。乗り気でないように見えた娘が指輪を見つけスーパーマンのように上がってくる顔は誇りに満ちている。母には「分かって」いたわけだ。なんて強い母親、強い絆だと思う。回想が進むたび娘は時に母のようにはできないとデモで引っ込んでしまったり時に得意分野で母をカバーしたりと成長していく。こうして娘が母とはまた別の人間に成っていく様がいい。

中途半端な遊び人に見えたマッカ(製作総指揮兼のエリック・バナ)が自分のやり方で近海を守っていたことが分かってくるのが面白い(それがMadと呼ばれていたんだから)。目的が同じならやり方も同じというわけではなく、その最たる例が「ここに住む」ことこそ保全活動の根と考える母と「世界の海を守りたい」と家を出た娘なのだ。しかし彼の実際を知らないうちからアビーが好感を抱いていたことから、同志同士は通じるものがあると分かる。この映画では誰もが「分かって」やっている。開発業者のコステロ(エリック・トムソン)はまだ15歳のアビーに「行政は目の前の経済効果や雇用創出、それに選挙の結果しか見ない」と言ってのける。少女は「私は投票する」と返すのだった。