ファースト・カウ


思いがけないオープニングの一幕、あれを見つけた彼女(アリア・ショウカット)はなぜつい、一心不乱に土を掘るのだろう、私でもそうするだろう、なぜそうするのだろうと考えた。命あるいはその痕跡が近くにあれば手を伸ばそうとするものなのかもしれない。ライカートの映画には常にそれを感じる。クッキー(ジョン・マガロ)が乳を搾りながら牛に話しかけるのもキング・ルー(オリオン・リー)がわずかな呼吸の脇に横たわるのもそのように私には見えた。

女性のその手は採ったきのこを丁寧に布にくるみ腹が上になったトカゲを返してやるクッキーの手に繋がる。本作は実に見事な手仕事映画で、殴り合ったり酒場で賭けをしたりする(「私は賭けはしない」と言ったのは…それは手を使う類のものではないが…『ミークス・カットオフ』のミシェル・ウィリアムズだった)他の男達と対照的に、キング・ルーが家を暖めるための薪を割るのを見たクッキーが家の中を掃くのを皮切りに、二人は快適な暮らしのために手を使う。それぞれが別のことをしながらこれまで誰にも話さなかったであろう夢を口にするくだりが素晴らしく胸打たれた。

男達は母親に作ってもらっていた、店で買っていたドーナツが何で出来ているか知らない。ロンドンの味だと感心した仲買商(トビー・ジョーンズ)がクッキーにクラフティを作らせるのは「招待した隊長をへこませるため」である。当日の二人の男のマウンティングの間抜けさ、何かというとお前はどこの所属かと自分の縄張りを基準にものを見ようとする奇妙さに笑ってしまう。乳泥棒として追われる二人を見つけるのが横入りされてドーナツを買えなかった男(ユエン・ブレムナー)というのも皮肉…いやライカートの映画に皮肉はないからそういうものなんだなという感じがした(あの場面で二人が横入りにつきどうこう言ったり思ったりしていないように見えるのが私には奇妙に心に残っていた)。

料理人であるクッキーが投げつけられる「間に合わせる(in provide)のがお前の仕事」に、Twitterで少し前によく見かけた言い回し「ゼロに戻す仕事」が頭をよぎった。皿を洗ったりトイレットペーパーを補充したりといった、目に見えてプラスになるわけではない家事のことだ。「お前を見ているとむかつく、何も食べられなかったら八つ当たりしてやる、手に入れた銭を奪ってやる」と続くのは、プラスになる仕事をしているわけでもないのに金を稼ぐなんて許せないという理屈に思われた。ライカートの映画を見ているとマジョリティがマイノリティに対して覚える不安について想像する。クッキーとキング・リーが夢を抱いているように、マイノリティなのに「普通」であることが怖いのかもしれないと思う。