ロストケア


訪問介護施設で働く斯波(松山ケンイチ)について同僚の猪口(峯村リエ)いわく「若いのにあれだけ白髪なんだからよっぽど苦労してるんじゃない」。彼の白髪と大友(長澤まさみ)の艶々の黒髪、訪問先の汚物だらけの部屋と法律書が整然と並び陽が入り机も床も輝いている事務室、向かい合えば白い包帯にシャツと黒いスーツ、恥ずかしい位の演出で斯波と大友の対比がなされるが、見ているうちに二人は、というか私達は誰もがまさに同じ国に生きる存在なんだと分かってくる。

序盤の葬儀の場面で斯波は羽村(坂井真紀)に「頑張られましたね」と声をかける。「頑張る」の尊敬語とは聞き慣れないが、あの場では確かに他の言葉が思い浮かばない。それは日本語の変化というより彼の言うように今この国に「穴が開いている」、おかしな事態になっていることを表しているんだと思う。人の命を奪うという斯波の行為を私達に「正しい」と思わせてしまう所以のその穴を国にふさがせるためにどうにかしなければという映画で、そのやり方にはやはり『PLAN 75』と通じるところがある。

斯波が逮捕されたニュースに足立(加藤菜津)が悲痛な叫び声をあげ事務所の飾りを引きちぎる姿に何だこのお決まりの描写はと思っていたら、やがてそれは「仕事に就いて3か月」の彼女のような若者に国が何をしているかを表しているのだと分かってくる。同様に羽村と上司の春山(やす)の「男女の恋愛」にも始め違和感を覚えていたのが、ベンチでの語らいの場面で、介護のような問題があろうとも「愛」を求めるという人間のいわば複雑さを描くための要素だったのだと分かる。

尤も「あんなに介護に苦労したのに年上のぼくと一緒になったらまた…」への羽村の「それでも一緒になりたいと思ってくれたんですよね」というセリフには疑問を感じる。女性が自らの決意の根拠を「愛する」じゃなく「愛される」に置く描写は(しかもこの場合、自分の方が苦労する可能性が高いという設定なのに)、現実にはそういう人もいるかもしれないけれどすべきじゃない。他の国の映画やドラマと比べても女性達が「美女」すぎ、室内などの描写の生々しさに比べリアルじゃないのも少し残念だった。