フェイブルマンズ


ミシェル・ウィリアムズ演じる母親ミッツィのエプロンのポケットにいったん入ったフィルムに魔法がかかったように私には見えた。「すべてのことに意味がある」とは彼女がそう思わなければやってこられなかったという意味だと思うけれど(「実際」はどうだったのか分からないけれど)、図らずもそれは映画のことだ。幼いサミーが最初に欲しがるのはカメラじゃなく鉄道模型なのが、「衝突が必要」と見抜いた彼女がカメラを渡すという流れにそうだったのかと思う。

全編通じてテンポもリズムも絶妙な中、ミッツィの弾くバッハの協奏曲ニ短調BWV927 第2楽章アダージョをバックにサミー(ガブリエル・ラベル)が彼女とペニーおじさん(セス・ローゲン)の、あるいは夫バート(ポール・ダノ)含めた関係に気付いてしまうくだりのみ、ぐーっとペダルが踏み込まれたように平面に何かが広がっていく。ミッツィの「これこそ私」の真裏のもう一つの映画を彼女に見せる、いわば罰のクローゼットのくだりも同じ。私にはこれは、母と自分は同類だから、道を絶たれた彼女が自身を満たすためにああしたのは仕方ないんだ、それを許すんだ、というのが主題、いやそれを主題に見せている映画に思われた。映画のあれこれについては何を今更でラストで全てが上書きされる。

更にプロムでの「おさぼり日」映画の上映とその後のロッカーでの一幕にはそれまでになかった笑いと恐怖が満ちており、異様な感じにおそわれた。「家」から離れるとそうもなるのか。ちなみにサミーが自身で映画の全てを作り上げようとしても手の外で進行する場合があると知るEscape to Nowhereの上映会の後、お父さんの第二次世界大戦での体験が元なのかと尋ねられるシーン(「父はそういうことは話しません」)があったけれど、プロムの何年か後に徴兵が待ち構えていると私達は分かっているから、ロバート(サム・レヒナー)の坂道がそちらへ向かっているようにも感じられ暗い気持ちになった。