オットーという男


オープニングクレジットにプロデューサーとして名前が出てそうなのかと思ったことに、『幸せなひとりぼっち』(2015年スウェーデン)のリメイク権を取ったのはトム・ハンクスのパートナーのリタ・ウィルソンだそうだけど、さすが「アメリカ映画」、とても分かりやすくなった。それを私は愛する。いかにもハンクスがやりそうな、合いそうな役だと思っていたけれど、予想以上に愛想のいい作品で場内の人々の顔がほころんでいるであろうことが暗闇でも分かった。それは「他者の領域に踏み込むことが助けになる」という訴えを飲み込ませるためだろう。

若き日のソーニャ(レイチェル・ケラー)とオットー(トルーマン・ハンクス)が初めてキスする時、プロポーズする時、店内の客や車外の人々が祝福してくれるのに表れているように、二人は始め外と繋がっていたのに、それが絶えそうになってもソーニャのおかげで保たれていたのに、彼女の死によって扉は閉ざされてしまう。オットー(トム・ハンクス)は自分の土地の中でただただ規則正しく生きている。しかし新しいお向かいさんマリソル(マリアナ・トレビーニョ)からのinterestingな食べ物が腹へ入ってくるのを皮切りに、車の中へ、家の中へと互いに境界を踏み越えることになる。終盤彼女の冗談に指一本で応えるあの仕草。

かつてソーニャとオットーが害を被った事故の原因はバス会社がブレーキの故障を放っておいたことだったが、その後をソーニャと共に生き抜き今、彼女を失ったオットーの身辺に不動産会社(Dye & Merica Real Estate…「死にゆくアメリカ」)が手を伸ばしてくる。『幸せなひとりぼっち』の主人公は行政の仕事を引き継いだ民間企業の職員を「白シャツ」と呼び敵と見做していたが、こちらでは敵はあくどい私企業である。「相手の領域に踏み込む」際に何が必要かを、この映画は「それ」を持たない者が同じことをした場合の醜悪さを描くことで示す。このエージェントの役を、出ていると知らなかったマイク・バービグリアが演じており少し驚いた。

オットーのマリソルへの「君は馬鹿じゃないから」という言葉は私には随分な「上から目線」に思われたけど、あのような境遇の女性にとっては切実に感じられるのだろうか。彼女の学士や修士の免状を、また相対的に彼女の夫トミー(マヌエル・ガルシア=ルルフォ)の「馬鹿さ」を見せる必要はあったのだろうか。ちなみにマリソルとトミーが「アレンレンチ」という名称についてだから「アルビン」レンチじゃないと言ったじゃない等と話しているのには、答えを出すわけじゃない会話…すなわち境界線を引くことが目的じゃない会話というのがあるものだと考えた(うちでも似たようなことがよくある)。