アメリカから来た少女


冒頭四人がやって来る、カビが生え、電球が切れ、手狭で暗いそこは全く家ではない。一応それまでの主であった父親(カイザー・チュアン)は一人での食事に慣れ茶碗を持てばかきこむばかり。母親(カリーナ・ラム)は彼とうまく寝られず13歳のファンイー(ケイトリン・ファン)は妹ファンアン(オードリー・リン)とうまく寝られない。それぞれの辛苦の後に終盤アイスクリームを食べての母とファンイーの「『また』来ようね」「えっいいの」に次第に「家」が成立してきていると分かるが、一番子どもであるファンアンが「家に帰りたい」と言う時、それはSARSによって叶えられない。

遠い昔にアメリカ映画を見ていてふとアメリカ人は物を両手で受け取らないんだと気付いたものだけど、アメリカから台湾に戻ってきたファンイーは担任教師からノートを渡される際に片手だけ出して注意される。終業のチャイムに鞄を出して帰り支度を始めればクラスで浮いてしまう。彼女にしてみればアメリカで母親に「よくあれ」と言われそちらの文化に馴染んだのに理不尽極まりなく、なぜ自分を連れて行ったのか、いつ戻れるのかと「今」以外にしか頭がいかない。母親は乳癌の術後の辛さに「家族さえいなければ」とまで口走ってしまうが、保護者会で初めて娘の境遇を知り啖呵と言うほどじゃないけれどあることを言い放って出ていく。あまりに響き合う母と娘が少しずつ歩み寄っていく。

I Hate You Momとのブログのタイトルに「弁論大会のテーマは『最も影響を受けた人』、やってみる?愛と憎しみは表裏一体」と提案する担任教師の慧眼と思い切りのよさにぐっとくるも(それにしても、言語にはその言語の使い方があるから直訳すればいいというものじゃないけれど、タイトルが日本語字幕の「ママなんて大嫌い」ならこんな提案が出来るか難しいところだ)、授業の内容はともかく彼女は体罰につき否定はしない。「2003年の台湾」においては教員のそんな態度もありえたのかもしれない。「愛と憎しみは表裏一体」といったことは普遍的な問題で、体罰の是非といったことは時代によって変わる問題であり、後者の変化によって前者を抱えた者が苦労するのかもしれない、というようなことを考えた。