光にふれる



「首都圏に記録的な大雪」が降った公開初日に観賞。帰りに同居人が「これが映画だと思った、ほんとに素敵だった」と言うので嬉しかった。私には、いわゆる「自分らしさ」とは他者との関わりによってこそ見つかるものだという話に思われた。
台湾出身で視覚障害を持つピアニスト、ホアン・ユィシアンが、彼の体験を元にした物語の主役を演じる。もう一人の主役は、サンドリーナ・ピンナ演じるダンサー志望の少女チエ。


映画のリズムがとても面白い。とある田舎の農家、ユィシアンが大学入学のため都会へ引っ越す日に始まり、母親と車で出発、到着して寮で生活の準備をする描写が、こんなにゆっくりでいいの?と思っちゃうくらいにゆっくりと進んで行く。それが、学校で授業を受け、数は多くなくとも友人が出来、彼の世界が広がっていくのと共に、歩みが次第に大股になってゆき、最後には時間がぽんと飛ぶ。それはまるで、ユィシアンが「いつか、おずおずとじゃなく、人目を気にすることなく、自由に歩いてみたい」と語った「夢」のように。チエがその「夢」をかなえるため、彼を故郷の浜辺に連れて行き、辺りに何もないから、前に私がいるから、好きなように歩いてみて、と言った時のように。


ユィシアンの周囲の人々が、彼と「同じ」感じを得ようと目をつぶる場面が多々ある。それらがどれも「一人の体験」じゃなく、「ユィシアンとの遊び」として成立しているのがいい。妹との、おそらくしょっちゅうやっていたであろう「誰が来たか当てっこしよう」遊び(トンネルの向こうからやって来たのは入学祝を持って来た叔母さん)、ルームメイトのチンとサークル新勧活動の机に並んでの「声だけ聞いて可愛い子を探そう」遊び(そこにやってくるのが「君は見えないもんな、声は可愛いけどぶすっとしてる」チエ)、そしてユィシアンと彼の故郷に出掛けたチエの、共に目を閉じての、家までの道のり。「花がいっぱい咲いてる」のがユィシアンの家だ。こんなに「軽々」と、他人と何かを「共有」することができるなんて、当たり前のことなのに、普段は忘れてしまっている。
例えば冒頭の引越しの場面で、母親の運転する車が田舎から都会へと進むにつれて、聞こえる音が次々と変わってゆくという描写に、映画を見ている私もふと目をつぶってみたくなる、どういう所を通っているかユィシアンとお喋りしたくなる。そこにもう、この「遊び」がある。こういう映画っていい。


チエはダンスをやりたいが、父親は酒浸り、母親は浪費家の上に「金になる将来」しか娘に認めないものだから身動きが取れず、「ドリンク屋」さんで仏頂面で働くだけの日々。配達先のスタジオでダンサーに見とれて帰りのエレベータで他人が乗ってくるまでふと踊ってしまう、なんて描写には「ガラスの仮面」の冒頭を思い出してしまった(笑)
中盤よりチエにダンスを教えるのはどう見ても超・本物のダンサー(公式サイトによると「モダンダンスの巨匠」ファンイー・シュウ)。彼女が始終語りかけてくれるレッスンが心地いい。それを活かして、終盤のオーディションのシーンも、「音楽無し」で踊るチエの姿と別の場所でユィシアン達が奏でる音楽が重なるという、面白い作りになっている。
「身動きの取れな」かった彼女が、街中で手助けしたユィシアンに「君のことを知ってる」と言われた時、まず変わる。息の詰まっていた世界に空気穴が開く。そして物語の最後、「状況」はものすごく変わったわけじゃないけど、バイト先の店長に(オーディションに受からなかったことについて)「もうちょっとだったんです!」と明るく言い返す場面の目の光の、これまでと全く違うこと。あれは素晴らしかった。