さよなら、アドルフ



「映画史上、誰も描いたことのない『ヒトラーの子ども』の戦後」という宣伝文句にはそりゃあ惹かれてしまう。ナチス高官の子にとって、敗戦とはどんなものであったか。
映画としては私向きじゃなかった。描かれていることもカメラワークも全てがあまりに「断片的」で、めまぐるしい映像に酔ってしまったから。もっとも主人公の少女ローレが見聞きしたことだけを忠実に描いているのだから、それが「正しい」んだけど。


オープニング、原題は「Lore」というのか、なんて思いながら見始めたのが、主人公ローレがあるものを踏み潰すラストカットの後にこのタイトルが大きく出ると、衝撃を受ける。だって、全くもって、これはローレという少女個人の物語なのに、彼女の姿に世界が反映されていたから。そして、このラストシーンは彼女にとっては「スタート」でもあると分かるから。その後を知りたい。


本作は「長女もの」でもある。ローレは子ども達の中で最年長の14歳。乳は出ないから、放置された赤ん坊を母親の横に連れて行きなんとか乳を含ませる。旅先で遭遇した大人の言うことを、そのまま下の子達に向かって言う。大人でもあり子どもでもある、こうした描写が切ない。
子どもだけで旅立たなければならなくなった時、ローレは幼い弟や妹のために「うそ」をつく。ユダヤ人の青年トーマスを頼るようになった時、彼女はその「うそ」を打ち明け、少しでも重荷を下ろそうとする。終盤、「もう検問は無いから(自分は必要無いから)」と別れようとする彼を引き止めるため、彼女は「うそつき!所詮はユダヤ人ね」と言い放つ。彼女が「うそつき」と言えるのは、本当はそう言いたくない彼に甘える時だけであり、大人には言えない。それが辛い。


ローレとトーマスは互いに憎からず思っている、というか性的に惹かれあっているが、わだかまりがあるので、触れるか触れないか、という場面がやたら多い。少女の性的好奇心が前面に出ているのが面白い。水浴中の彼女に向かって、木の枝に逆さにぶら下がった彼が手でかすかな波を送る場面のエロいこと。水はつながってるからね。