あしたは最高のはじまり



意外な場面に始まったかと思いきや、予告編から想像していたのと全然違う内容の奇妙な映画だった。この場合「予告編サギ」という言葉はしっくりこない、作中の人物もこの映画もよかれと思って嘘をつくんだから、予告編だってまあ、いいだろう(笑)


まずは子育てそのものを描く映画じゃない。予告編に連想した「スリーメン&ベビー」のかけらもなく、そういえばあれはフランス映画のリメイクだったけど、これはフランス映画ながらフランスっぽくもない(オリジナルはメキシコ映画だそう)。変なことを言うようだけど、私にはマジックの話に思われた。


この映画における、映画(正確には「連続ドラマ」)作りや学校教育の描写はかなり適当で、はっきり言ってどうでもよいものとして扱われている。それじゃあ人生は何かというと、愛する人との、あるいは愛の記憶との夢のような時間。そういう提示もありだと思う。サミュエル(オマール・シー)は「人生は遊園地じゃない」と諭されるが、いや、そうだっていいじゃないかという話だ。


冒頭、「出発前」のサミュエルは「船長」であり、パーティを催し女とセックスするが、全く体を動かさない。それが娘のグロリアを「助ける」(と言ってもその危機は彼のちょっとした過ちが発端なんだけども)時からずっと体を動かし続ける。彼が「スタントマン」になるというのが面白く、皆に感動され感謝されても「はい、それじゃあ主役に交代」と言われてしまうのが、娘を母親に取られそうになることの比喩のようだった。


出発前に空港で「メトロ」の発音を笑ったサミュエルが、ロンドンに着くと自分が「地下鉄」と言えず相手の言葉が分からない(がFuck!だけは分かる、そういうものだ・笑)。日本の小学校でもままあることだけど、ロンドンに8年暮らしても英語が話せず、子どもが学校や職場で通訳をしている。でもって結局英語が話せないまま終わる。大事なことはそうじゃないと言うのだ。