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この映画が描いているのは、人が滅ぼす者と滅ぼされる者とに分かれているこの世において、自らが滅ぼされる側であっても立ち向かう者の崇高さと、出来るだけ楽をしようと滅ぼす側につく者の有害さである。彼らを分かつものは勇気を持っているか否かである。

オープニング、最後に誰のものだか明かされる声(ジュリー・クリスティ)が「読書とは本という家の中に住むこと」と語り始める。これはラストの「書店に孤独はない」に繋がっているのだが、違う意味もある。読書とは他者の家を訪ねること、すなわち自分の家から出ることだと言っているのだ。あの町には自分の家から決して出ようとしない人々と、家から出ることの意味を知っていればこそ何十年も出なかったたった一人の勇者が住んでいた。そこへ「GRACE号」でフローレンス(エミリー・モーティマー)がやって来た。

フローレンスとエドモンド(ビル・ナイ)の、彼の自宅と海辺でのシーンの素晴らしいこと。年上の経験者に助言を求める彼女と、後に「歴史があるから素晴らしいとは限らない、私もあなたもつまらない年寄りだ」とガマート夫人(パトリシア・クラークソン)に言ってのける彼との間に互いに流れる尊敬の念。「あのような人間のためにこんなふうになった」彼の勇気が、彼女の何をも恐れない心に触れ息を吹き返す。力を尽くすことを厭わないのが二人の共通点であり、「そんなことをしたら死んでしまう」とそれをしないマイロ(ジェームズ・ランス)は恋人に捨てられる。

店に現れたクリスティーンにフローレンスが「あなたは小さすぎる」と言うと少女は「甘く見ないで」と返す。後に彼女がストーブについて「灯油を両方に入れたら危険だけど」と言われた時、(「華氏451度」の件もあり)ふとある不安が頭を過ったが杞憂だった。私も彼女を甘く見ていたのだと気付かされた。同時にこれは危険を孕むものの扱い方についてのエピソードにも思われた。クリスティーンがストーブを掴む手には夫人に立ち向かうことを決意したエドモンドの握り拳を思い、滅ぼされる者として共闘する私達は時に互いの拳を開いて手を繋ぐことが必要なのだと考えた。フローレンスがそうしたように。