THE GUILTY ギルティ


機器を装着した主人公アスガー(ヤコブ・セーダーグレン)の耳のアップにふと「接地」という言葉が思い浮かぶ。彼と外部との唯一の繋がりでもって映画が始まる。やがて彼が明日裁判を控えていること…すなわち有罪と無罪の間に居ること、結婚指輪をしているが妻は「出て行った」こと、反対の手の薬指に怪我をしていること(これは私には彼が有罪と無罪の間に居ることの示唆に思われた)、一人の時にはテレビを見て気を紛らわせているかもしれないこと等が分かってくる。

私はこの類の仕事について無知だが、アスガーの言動は(少なくとも他の仕事に比べて、あるいはこの仕事において)大変に特殊で奇妙に思われた。職場とは確かにそれぞれがそれぞれの仕事をする場だが、あんな大事が起きているのに他の誰とも共有しないばかりか一人で背負いこもうとするのだから。終業間際に隣室へ移動し、あることが判明したところでブラインドを下げることでどんどん加速する彼の「一人」ぶりは、「ブルー・プラネット」という水族館の話題が出るあたりでピークに達する。電話の相手と共に深海に潜っているようだ。裁判を前にした彼はこうして身を潜める、有罪でも無罪でもない暗がりでの最後の休息とでも言うように。

ある地獄を体験し吹っ切れたアスガーが部屋を出ると、仕事のメンバーは昼勤から夜勤に変わっており、スクリーンのこちら側の私にも世界が変わって見える。冒頭、隣席の同僚への「今まで申し訳なかった」、ボスへの「(ドアを閉めてくれて)ありがとう」などが物を頼むことと引き換えに発せられているようでおかしな感じがしたものだが、ここへ来て初めて彼は頓着せず向かいの同僚に自分の代わりに電話を掛けてくれるよう依頼する。それから新たな世界で自分が有罪か無罪かはっきり宣言し、部屋を出て行く。皆が取り返しのつかないほど傷ついているのに、彼だけが何かすがすがしい映画であった。