ヒステリア



1880年のロンドン。雇われ医師のモーティマー(ヒュー・ダンシー)は診察の前に丁寧に手を洗う。彼が「細菌」の存在とその危険を力説しても、患者は「だって目に見えないもの」、医師も聞く耳を持たず、従来の治療法(汚れた包帯を換えず多量に出血させる)に固執するばかり。この一幕のおかげで、これはこういう時代(これが「普通」だった時代)の物語なのだ、という心構えが出来る。コミカルな演出で全篇気楽に観られる。


マギー・ギレンホール演じるシャーロットは自転車に乗って登場。ドイルの「美しき自転車乗り」が丁度この頃の話かな?街中ではまだ普及していない様子。彼女は自転車のみならず、最後には「まさかここで?」と驚くモーティマーに路上でキスまでしてしまう。こっちは一人じゃダメ、「二人」でなきゃ出来ない。新しい道をゆく二人の、いいラブシーンだった。


モーティマーとシャーロットが二度目に顔を合わせるのは、新たな雇い主のダリンプル医師(ジョナサン・プライス)とその娘エミリー(フェリシティ・ジョーンズ)との夕食の席。静かな部屋にシャーロットが飛び込んでくると、モーティマーにとって「理想的な女性」であるエミリーが、少々色褪せて見えた。
エミリーが「つまらない女性」というわけじゃない。何度か挿入される、彼女とモーティマーが部屋の前の廊下で言葉を交わす場面がいい。エミリーいわく「私は『理想的な女性』じゃないし、姉は優しい人よ」。終盤、荷物をまとめて出てゆくモーティマーを見る彼女の目に、シャーロットもエミリーも、どちらも私の中に在ると思った。そりゃあエミリーでいられれば「ラク」だもの。演じるフェリシティの、何かもの言いたげな口元も、キャラクターに奥行を与えていた。


モーティマーは医師の所に住み込みの時期以外、友人エドモンド(ルパート・エヴェレット)との二人暮らし。資産家の息子で科学者のエドモンドは巨大な発電機を部屋に据え、電話や電動ハタキの実験に明け暮れている。最近じゃボウイ様がニコラ・テスラ役だった「プレステージ」などもそうだけど、ヴィクトリア朝の科学ものはやっぱり楽しい。本作のエドモンド然り、それは彼らが先へ行こうとしてるからなんだな。
ある時モーティマーは、体に電動ハタキを当てると気持ちがいいことに気付く。「バイブレーター」の試作品を一番に使うのはモリーシェリダン・スミス)だけど、作中の初体験者はヒュー・ダンシーだとも言える。エクスタシー演技は中途半端だけど(笑)この場面が結構長くて可笑しい。


「女性のヒステリーを治すためにバイブを開発する話」と聞いて、「ヒステリー」の部分にはどうオチを着けるんだろうと思ってたら、シャーロットとのやりとりで考えを変えたモーティマーが、裁判において「ヒステリーなんてものはありません」と証言して終わり。はぐらかされた気がしたけど、考えてみたら、シャーロットの「でもここから始めなきゃ」に影響されて、モーティマーも「ここから始めた」ってことなんだな。この世界は、当時は勿論、今だって嫌なことばかりだけど、共に進むパートナーがいれば心強い。
その後、連行されるシャーロットの「あなたはいいお医者さんよ」からのセリフに、ああこれはこういう話なんだと思った。モーティマーは始めから「医師の誓い」を立てている真面目な人間だけど、そこに留まってちゃダメ、必要なら変わらなきゃ。


マギーは「労働者」の格好もパーティでの黒いドレスも、どちらもよく似合っていた。どちらの背中も素晴らしかった。