太陽の下で 真実の北朝鮮



北朝鮮と共同でとある少女の一年を追う記録映画を撮り始めたロシアの映画監督が、当局による過度の介入に驚き、その「演出」の様子を収めたドキュメンタリーとしてまとめた作品。


冒頭、教室での場面で行われているのは、始め歴史かと思うがそうでなく、国語でもなく、金日成についての文章を読み、挙手で穴埋めさせ、書き取らせるという「教科」である。日本の政治家の口の端に上った「愛国心」を教える「道徳」が実現したらこのようなものになるのだろうか、とふと考えた。後半、文章で「ヒロイン」ジンミの通う学校はレベルが高いと知るが、他の教科を勉強している場面が無いのでぴんとこない。


北朝鮮当局の検閲を「通る」だろうと思われる(ただし「個人」のアップは消されてしまうだろうが)「授業」や「入団式」の映像だって、こちらからすると「異常」に映る、そうした断絶はあると思う。一方で、文章によると台本には「撮影の時以外には外に出ていないのに校外活動があると書かれている」など、「外に見せてはまずい」と考えられている部分があるのも面白い。日本の政治に置き換えて考えてしまう。


ジンミを教えている「先生」の、お上を圧しない方向に念のいったヘアメイクが気になってみれば、ジンミの母親や工場の女性、みな同じようである。「華美ではないが『女』らしい」装いを「皆」がしている様子は薄気味が悪い。「隠し撮り」されたのであろう、「外」向きではない、一般市民の「行き帰り」時の服装は殆ど黒一色という感じで、差異が大きい。実際には「流行」だってあるんだろうし、化粧事情が気になった。


映画のラスト、「少年団に入ってどうするのか」と聞かれたジンミが「組織で生活することで自らの過ちを知り…」と答えながら涙を流すと、監視役が「いつも冷静でなければいけない、泣かせないで」と言うので、スタッフらしき女性が「好きなことを思い浮かべて」と声を掛けるが、「好きなこと」が思いつかない。中盤、朝鮮舞踊を上手く踊れないジンミが泣く時、先生は言ったものだ、「慣れていないから涙が出るのだ」と。


「笑顔の家族」や「笑顔の工員たち」の撮影風景には、私達が見ている映像のほぼ全てはこうして撮られているのだと思った。「ドキュメンタリー」であろうと無かろうと、それらを見て、これが「普通」なんだ、これから外れている自分はダメなんだ、と全く思わされていないと言えるだろうか?