DOPE ドープ!!



ファレル・ウィリアムス製作総指揮というのは大きく宣伝されていたけれど、上映前の、「フルートベール駅で」で知ったフォレスト・ウィテカーによる「Significant Productions」のクレジットに期待が高まった。
「90年代のヒップホップ」おたくの主人公マルコム(シャメイク・ムーア)が親友と組んでいるのがパンクバンドというのがまず面白く、白人ばかりのパーティでのライブ、そこで切るの?と思っていたら…「シン・ゴジラ」の見せ方とちょこっと通じるものがある。「女」は各エリアに「紅一点」ずつ、というのも少々無理矢理な共通点かな(笑)


「青春犯罪もの」の体だけど、その実は、友達と自転車で移動する、つまり、まだ子どもの「I'm just Malcolm」が、「自分は何者か?」という問いに直面する物語である(まだ早いようだけど、彼が言うように「はみ出し者は直面しなければならない」のだ)。フィデルカップG)とのやりとりがいかにも「映画」ぽくて楽しい。「本物に見えるか偽物に見えるかは持主によって決まる/真実は自分が知っている」。
周囲に「おたく」だと思われているのを逆手に取るところや、えっお前だったのか、世界は狭いなあ、というのが、だって「世界は狭い」んだから当たり前で全然びっくりしない、というところが「面白い」はずなんだけど、この映画の面白い、というか新しいのは、これらのことに大して意味が無いという点である。


マルコムの出願書の結び「(なぜハーバードに進学したいか?)もし僕が白人だったら、その質問する?」(実際にはこんなこと、ハーバードは言わせたりしないと私は信じているけれど)は、最近じゃケイト・ブランシェットも言っていた。「母親と女優との両立は大変ですかって、男の役者には聞きませんよね」。
マルコムと親友のディギー(キアシー・クレモンズ)、ジブ(トニー・レヴォロリ)は「黒人が大学に行くのはスポーツのためだけだと思われてる」などと話し合う。「マイノリティ」は「数」によらないとはいえ、「黒人」はこんなに多いのに(そんな偏見が?)と一瞬思うが、「女」に置き換えて考えたらそんなことばかりだ。


シャネル・イマン演じるリリーの「死ぬほど退屈」というのが悲しかった、ああいう環境に女が適応するとやることがなくなるってことだもの。一方コミュニティカレッジから州立大学へ行く計画を立てているナキア(ゾーイ・クラヴィッツ)は、女が存在するだけで「色仕掛け」だなんて、マルコム自身も後で反省している言動を、「あれもあなた」と一刀両断する。「皆を騙せても私は無理」と、それでも拒否はせず、唇じゃなく頬にキスをする。まあまあまっとうな「ヒロイン」だった。