あなた、その川を渡らないで



オープニングにいきなり「道」のラストシーンを思い出しながら(予告からそんな話でないと重々承知だけども)、「ドキュメンタリー」と「韓国」についてもっと知っていたらなあと思う。スクリーンの隅に背を向けてしゃがんでいるおばあさんの慟哭が、あまりにはっきり拾われているから。「ドキュメンタリー」の撮影時に起こることや、「韓国」人にとっての泣くことの意味に詳しければ、あれをどんなふうに捉えるだろう。


続く場面で、マイクはおばあさんがおしっこをする音も大きく拾う。後にはおじいさんのも(いずれも便所の中、背を向けて、なので「画」は無し)。しかしこの映画の場合、おしっこの音がするとは、自分で排泄できているということなのだ。犬の死体が映るのも、お墓に埋められる死体なのだ。変な言い方だけど、映画はきちんと、きれいなものを拾っている。


実に作為的な映画だけども、「ラサへの歩き方」を見たばかりということも手伝ってか、自分が自分を演じて何が悪いんだ、という気持ちがあるので、白けはしなかった。それに「スピリチュアル」なことを言うようだけど、あの、おばあさんいわく「私はしわくちゃ」の皺が、普段からああしてる(ああいう顔をしてる)ことを表してるじゃないか。


二人の若い頃の写真などが一切出てこないのがいい。例えばおばあさんが一人、火の前で「本当の夫婦」になるまでを語る場面、テレビ番組なんかじゃああいうところでよく「昔の二人」が挿入されそうなものだけど、台無しだもの。


彼らの「感じ」は、私と今のパートナーのそれにも似ている(何もかもが全然違うとも言えるけど、何が言いたいかというと、あの「感じ」は浮世離れしているわけではないということ)。それだけに、例えばおじいさんが、これまで平気で運んでいた鏡を持てなくなりぷいとすねてしまう、ああいう時にふと二人の間に吹く風のようなものが妙にリアルに感じられた。


おじいさんの位牌には金の十字架と聖徒の文字があった。何となく、二人がキリスト教徒でもあることは、暮らしの中のレノマのタオルやスヌーピーのコップ、韓国料理の並ぶ前での「Happy Birthday to You」、みたいなものかもしれないなどと考えた。