不正義の果て



ホロコーストの『記憶』を『記録』した」クロード・ランズマン特集上映にて観賞。企画の「目玉」である「ショア」(1985)から見たかったけど、ひとまず最新作(2013)のこちらから。「ショア」のために撮影した映像が使えず今になって結実したというの、映画「ハンナ・アーレント」(2012)のことなど色々考えられるけど、実際に本作を見ると感覚的にもよく分かる。扱う「人」が凄過ぎるから。


オープニング、本作に関する説明文の後に映し出されるのは、殺風景な駅のホームと、そこに立つ老齢の男性。ジャンパーとでもいうような上着の下に白いシャツを着こんだこのランズマン監督いわく「今や誰がこの駅を気にするだろうか」。ベンチにはこちらをちらちら見る利用客。撮影時間を変え、列車が入ってきたり出ていったり、雨が降ったりするホームの様子も示される。「ショア(ヘブライ語で「絶滅」の意、ナチス によるユダヤ人大虐殺を指す)」では「列車」がキーであることが分かる。


本作の「メイン」は「唯一生き残ったユダヤ人の長老」ベンヤミン・ムルメルシュタインのインタビュー映像だが、新たに撮り下ろされたパートでは、ランズマンが「現在」の「現場」を歩く、あるいは無人の場をカメラが撮った映像に、監督の朗読かムルメルシュタインの言葉が重なる。「のどかな」風景を車がゆくうちに収容所が見えてくる。前任の長老の処刑を語るくだりでは、いよいよとなるとランズマンは紙を手放し、語り終えて陰に退場してゆく。大胆な演出がそこかしこにある。


ムルメルシュタインは、屋上から周囲を眺めながら立っている後ろ姿で登場する。肉厚で段々の首にカメラが寄っていく。「ローマでこんな話をするとは妙ですね」とランズマンが口にすると「そんなことはない、これはヨーロッパ全土の問題だ、森を一つ燃やせば世界の気候が変わってしまうように」。インタビュー映像では、ムルメルシュタインが語る「内容」も興味深いけど(まさに一言一句、だから実際に見るほか無い)、彼に「ランズマンが話を聞く」様子、すなわち二人のやりとりが面白い。当時70歳のムルメルシュタインに「君はまだ若いから」と言われる監督の、煙草の煙や微笑に見える表情などに心惹かれる。


ムルメルシュタインの話は次第に熱を帯びてゆく。インタビューの背景が屋上から室内に移り、「『アーレント夫人』(ハンナ・アーレント)は何なんだ」という辺りから、身振りは激しく目つきは鋭くなる。インタビューを「順に」見ていると勝手に思っていたのが、そのうち「遡って」いるようにも感じられ、混沌としてくる(このあたりの編集は何というか凄い)。顔のアップが増える。監督の「突っ込み」も増えてゆく。「出産許可」のくだりではさすがに「産まれた子ども達は生き延びることが出来たのですか」「あなたの話は組織のことばかりで人間の感情が感じられない」。神話学を扱うムルメルシュタインはここでまた、他人の言葉、物語を引用する。


ムルメルシュタインが恐ろしく「映画的」な人物だと分かるまで、ある程度の時間が掛かる(それもまた「演出」であるように思う)。掛かるけれども、逆らえない川の流れのように、彼の世界に呑み込まれる。同時に、彼の問題は常に「私」の問題でもあるのだという現実…例えば人付き合いから金遣いに至るまで、人生のあらゆる時において、様々な理由により自分の「社会活動」的思想と食い違う行為をしてしまうことがある、そういう現実に投げ込まれる。彼のような状況に無い限りは、出来るだけ「寄せる」努力をするべきだろうかと。