みんなのアムステルダム国立美術館へ



アムステルダム国立美術館の、10年に及ぶ改修事業の裏側を追ったドキュメンタリー。「ようこそ、アムステルダム国立美術館へ」(2008)の続編だけど、前作の内容をほぼ忘れていても支障なかった(映画の前半でカバーされるから)


かなり「フィクション」ぽい作りのドキュメンタリーだけど、見易く楽しい。私には意味の分からなかった迫力満点のカットバックはともかく、開館を目前にしてまたもや「宿敵」サイクリスト達と同席するはめになった館長が、隣のサイクリストの話の最中にスマホをスーツのポケットにしまう姿を、録画?映像越しに見せるなんて程良いケレンもいい(笑)冒頭に膨大な改築費について(すなわち市民の税金も投入されること)の字幕がまず示されることからも、美術館側に対する少々の批判的な目が感じられる。
「工事」の様子を始め、サザビーズでのオークション、修復作業(前作の時も疑問に思ったんだけど、ここでの修復士はなぜ女性ばかりなのか?)、設置作業など、興味深い場面が次々と繰り出される。「個性的」で見栄えもする中年男性それぞれの言動が楽しい。新館長の夢は破れるもコレクション・ディレクターに昇格し意欲を燃やすタコ氏の姿は、20年前の(30年前ではない・笑)ジェームズ・スペイダーみたい。


アジア館部長のメンノ氏が「仁王像は大きいんですよ」の別取コメントと共に上野駅?構内に姿を現すと、オランダではそう見えなくても日本だとずば抜けてその体がでかいのが可笑しい。前作でも前館長が日本を訪れた際に同じように感じたのを思い出した。
メンノ氏の登場に安堵してしまうのは、彼が「政治」に関わらないからでもある。映画の作り手が意図的にそういう要素を加えなかったというより、彼としてもただ、愛する美術品に日の目を見せたい一心なのだろう。収蔵庫での「仁王像は敬意を払われるべきなんだ、こんな暗闇の中にいるんじゃなく…」という言葉に、他の美術品の数々には大して心を動かされなかったのにそうだそうだ!と思ってしまうのは、私の心が弱いのか、私が「日本人」だからなのか、あるいはメンノ氏が凄いのか、おそらく最後の理由が一番大きいのだろう。


「もうどうなってもいい」と嘆いていた建築家の一人が、完成したエントランスの出来に満足し「努力の日々など無かったようだ、これが『エレガンス』だ」と口にするのがとても面白く、世の「エレガンス」なるものの幾らかにはこんな裏側があるのかと思う。このドキュメンタリーは「白鳥が水を掻く足」を追ったものであり、その「足」に「みんな」が加わる、加わることが出来るか否かというのが重要なのだ。
次いで映る、「もうこの問題からは距離を置きたい」と白けていた内装会社のスタッフ(やる気の伝わってこない上司が欠席した会議において、彼女を無視して美術館側のスタッフ達が話を進める様子は印象的だった)が涙を流して喜ぶ顔のアップは、「皮肉」と捉えるべきなのか、どんな道を経たにせよ物が完成するという事は「感動」を呼ぶものだと驚くべきなのか、迷ってしまう。館長の写真を撮りにやってきたカメラマンが、美術館について問われて「いいね、個性を獲得している」とさらりと言うのも面白い。事情の外側に居た人間はそう言うだろう(と、更に外側からはそう見える)


「全ての美術館関係者に感謝を捧げます」の後のエンドクレジット時に流れる映像も見もの。まずは開館当日、何時間並んだのか大変な行列を作って入場する市民達、賑わう館内、インタビューに答える館長達、メンノ氏によって仁王像の開眼式に呼ばれた僧侶達がショップで仏像のフィギュアににこにこする姿。邦題通り「みんなの」美術館がそこにある。