あと1センチの恋



始まって数分で、まず映像を見ているだけで楽しくて、惹き込まれた。つまらない生活をしている部屋に「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のポスターは似合わないよ!と思いながら見てたんだけど、あれに彼の気持ちが込められていたんだろう。私が「恋人」なら、「意味」を勘ぐって別れちゃうよ(笑)


この映画のどこがどういいのか、私には説明できないけど、いい映画だということの証拠なら挙げることが出来る。始めのうち、ロージーを演じるリリー・コリンズの突出した可愛さに、他の女性についての「彼女には私だって惚れちゃう」なんてやりとりが全然ぴんとこないんだけど、時間が経つにつれ、いやいやそうだよね!と全てが心に沿う。ヒロインが映画そのもの。リリーのくるりと上がった睫毛のせいだけじゃない、外の世界に向かって開かれている感じの瞳、こういう女の出てくる映画を見たいんだよと思う。女の「シモ」関係をカジュアルに見せてくれるのも嬉しい。


女が父親から夫へと「引き渡される」結婚式なんてものを見せるの、今やギリギリじゃないかと思うんだけど、形だから!とこなしていく軽やかさ。予告編にも使われていた、ロージーとルビー(ジェイミー・ウィンストン)の「彼は親友」「親友は私」とのやりとりに、何故人は性的関係を持ち得る相手としか「パートナー」にならないのか、といつもの疑問が頭をよぎるも、そんなルビーも出会って「一瞬」でくっついた相手と仲良くやっているという「ありがち」な結末に、全然嫌な気がしない。この快い感じって、セシリア・アハーンによる原作と監督による「映画化」の組み合わせがうまくいってるということなのかな。


「元恋人」に聞いて子どものことを知ったアレックス(サム・クラフリン)が週末に戻ってきて、「父親代わりにならせて」と口にするロージーの部屋は、カーテンが閉じられ夕方近くの光が部屋に満ちている。この場面になぜかすごくぐっときていたら、ラストシーンでは、海に面したホテルの部屋のカーテンがぐっと開かれ、カメラは外に出てロージーと彼女を抱きあげるサムの姿を捉え、そのまま海へ出てゆく。先のシーンの甘さは閉塞感による痺れのようなものじゃないかと思った。