ハンガー・ゲーム2




「お姫様みたいなドレスはもう着ないのか?」
「卒業したわ」


前作「ハンガー・ゲーム」(感想)は、主人公が少年少女であること、演じているのがジェニファー・ローレンスジョシュ・ハッチャーソンであることこそ素晴らしい。ところが本作では、冒頭早々に、ジェニファー演じるカットニスが「もう少女ではない」ことが示される。どうなるのかと思いきや、次から次へと新しい要素が出てきて、前作よりずっと面白かった。


同じ体験をしてきた「同士」は互いを子どもだなんて思ってはいない(年が近い者同士というのはそもそもそういうものか?)。フィニック(サム・クラフリン)がカットニスを「お姫様のドレスは着ないのか」とからかうのはその裏返しだ。しかし高見の見物をする観客達はそうでなく、例えば司会者は彼女のことを、当たり前のように以前のニックネームのまま「炎の少女」と呼ぶ。サバイバー達の、本人も望まぬ「成長」に、観客達は気付いているだろうか?もしかしたらそこに「一矢」の可能性があるのもかもしれない、などと思いながら見た。


ジョシュの相変わらずいい仕事をしてること。本作でも「パン職人」として登場したピータは、後のある場面まで「僕にはカットニスだけが大事、僕のことは誰も大事ではない」という心情からか、あるいはそのセリフも含めた「演技」に疲弊しているのか、唯一「死んでいる」時だけ穏やかな顔をする。少なくとも冒頭の一幕の、カットニスにとってのゲイル(リアム・ヘムズワース)のような存在が、彼には無かったのだ。一方のカットニスは、「死んでいる」…意識の無い時ではなく、目覚めて愛する者の顔を目にした時に、作中最も嬉しそうな顔をする。


前作同様、二人が並んで立って馬車で登場するローマ風の場面にはじんとしてしまった。この画には「カリフォルニア・ドールズ」の最後の出場シーンを思い浮かべる。経緯は異なれど、「勝つことはない、サバイブするだけ」の闘いに発つ時というのは同じだもの。準備するのが自分か他人かという違いはあれど、サービス精神にあふれた(馬鹿馬鹿しいとも言える)衣装もね。
これに限らず、二人が並んで立っている場面はどれもいい。付き添い役(エリザベス・バンクス)に名前を読み上げられた(あるいは「志願」した)後の二人の、カットニスは「なすすべもない」、ピータは「やる気まんまん」といった感じの姿。


カットニスには幼馴染?で「相思相愛」のクリスに、自分を守ってくれるピータ、「殺し合い」の「仲間」とはいえ「チャーミング」なフィニックまで近くに居るのだから、女である私は「少女漫画」的な楽しさも味わえる(「皆があなた(ピータ)と寝たいって言ってるわよ」というセリフも、そんな男が「自分のもの」なんだといういいスパイスだよね・笑)。でも本作を見ていると、男女、というか人間関係につき、お決まりの「心が揺れる」とか何とかいう意味合いよりも、そもそも(異性の)パートナーと固定の関係を持たなければならない、というのも「上」からの押し付けなんじゃないかという疑問を感じる。そういうことを思わせられる映画っていいものだ。


「ゲーム」の描写については、物語上、所詮何でもアリだもんな〜と思ってしまうと見られなくなるから、時間的にも内容的にも程よい重きというのがある、本作のそれは丁度いいと思う。「発射」されて「陽」の下に出てからずっと、楽しく見た。前作と違い、本作で繰り広げられるのは、個人と個人の闘いではなく「皆で手を繋」いだ同士達と支配層との闘いだ。ラストには「何でもアリ」に矢が放たれ、突き刺さる。「革命」の始まる次作がとても楽しみ。