タワーリング・インフェルノ/E.T.


新宿ミラノ&シネマスクエアとうきゅうの閉館に伴い開催された「新宿ミラノ座より愛をこめて〜LAST SHOW〜」のうち、ほぼ滑り込みで二作を観賞。



▼閉館前日の「タワーリング・インフェルノ」には、上映一時間前に出向く。建物をぐるりと囲む列が出来ており焦ったけど、入場してみると、大規模劇場だけあり座席にはまだ余裕があった。10分程前から立見が出る。
こんなに広く満席の劇場で映画を見たのは久しぶりで、ああこれならコメディも見たかった、皆で笑いたかったと思った(翌日の「E.T.」で若干叶う)


何十回とはいかずとも二十回位は見てる本作だけど、劇場では初めて。最後の爆破、スクリーンで見たら超楽しい。自宅のテレビだとあのカゴ、乗ってみたいなと思うんだけど、大画面で体験したらやっぱり嫌だ(笑)
馴染みの面々が登場する度に、スクリーンに向かって内心手を振っていた。勿論リチャード・チェンバレンでもだよ!ウィリアム・ホールデンの貫録にもぐっときたけど、一番手を振りたくなったのはフレッド・アステア。グラスタワーを見上げる彼のまつげが、スクリーンだとあんなにはっきり見えるなんて。
ただしフェイ・ダナウェイには手を振る気にならなかった。彼女だけが、こちらではなく「相手役」であるポール・ニューマンの方ばかりを見ているから。ベクデル・テストが脳裏に浮かんだ。尤もパニック映画じゃ「女同士で男以外のことを話」さざるを得ないし、そのまま使えないけど(笑)


スクリーンで見て最も「実感」したのは、ポール・ニューマンからホールデンに手渡される「電線一本」の「小ささ」。あんな小さいものが大火災を引き起こすんだから。対してその後に出てくる、テープカットに使うハサミのでかさには笑ってしまう。
好きな場面の一つが、警備主任のO・J・シンプソンが初対面のニューマンに対してあれこれ指示するところ(シンプソンがニューマンにあんな口を!というだけでも見がいがある・笑)でもってスティーヴ・マックイーンが登場すると、今度はシンプソンが分からないことをマックイーンに教えられる。ああいうプロ同士の立場の絡み合いがいいんだよなあ。
何度も挿入される、「無名」の消防士達の出動シーン。その「代表」であるマックイーンだけが、結婚指輪で家族の存在を示唆しながらも、「一人」で仕事に汗を流す。冒頭からニューマンの出番があんなにあろうと、やっぱりマックイーンの映画だなと思う。



▼最終日の最終上映の「E.T. 20周年アニバーサリー特別版」には、上映の二時間前から並ぶ。生まれて初めて連れて行ってもらった映画だし、やっぱり見たくて。
後のニュースによると1064席のところに1400人が詰め掛けたそうで、どこを見ても人だらけ。シネコンは椅子の背もたれが高く、前方に人がいるかいないか分からないことが多いけど、ミラノは背もたれが高くないから、スクリーンの手前に人の頭がずらーっと並んでるのが圧巻で、気持ちよかった。写真は開始前にスクリーンに映し出された、上映作品の数々。私が上京した頃のやつをバックに。


私はドリュー・バリモアと「同学年」、それこそ「メキシコってどこ?」「エリオットは森へなんか行かない」のガーティの年齢なわけだから、公開当時には話がよく分からなかっただろう。「大きな白い筒」が怖かったのは覚えている。
比べて数歳上のエリオットが自己中心性から見事に脱する、成長するのがすごい。冒頭の夕食のシーンの、母、兄、エリオット、妹の、それぞれの状況、あるいは発達段階に沿った会話が交錯するのがとても面白く、そういう中で揉まれるのが大切だと言われているような気がした。登場時には兄達のゲームに入れてもらえなかったエリオットがやがて「王様」となり、終盤の大人達からの逃走時には「follow me!」と皆を引っ張るという描写も楽しい。


「私も10歳の時から彼を待っていた」と言うNASAの科学者(ピーター・コヨーテ)の顔を、初めてあんなにはっきりと見た。この映画では学校の先生も家出騒動で家にやってくる警官も、腰から下しか映らず言葉さえ発しないという異様さだが(それこそ作中少しだけ映る「トムとジェリー」のお手伝いさんのように)、母親以外では彼だけが、エリオットに真正面から語り掛ける。
大画面で見ると、子どもが大人の頭や車の上を軽々と飛び越える自転車アクションも余計楽しいし、何だかんだいってスピルバーグの映画にはそのまま切り取って仕舞っておきたくなるような画が多いということを再確認した。一番ぐっときたのは、花を手前に、エリオットと兄が喜び合う場面。いつまでも見ていたい。


スクリーンに向かって場内から二度の拍手の後、壇上にて支配人の挨拶。その後、全員で起立して、入場時に配られたクラッカーを鳴らした。寂しいながらも気持ちのいい夕方だった。