インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌



コーエン兄弟の新作。フォーク歌手デイヴ・ヴァン・ロンクの自伝を元に紡ぐ、1961年冬のアメリカ、ほんの数日間の物語。


私にとっては、口に合うという意味で美味しい映画だった。廊下の向こうから人が歩いてくる時、その距離がまさに望んでる通りという、映画ってそれだけで私を幸せにしてくれるんだっていう。前髪の影が加える表情、魔法のように顔を彩る眼鏡、オスカー・アイザックの三白眼気味の瞳、もう少しで嫌になるくらい完璧な映像だ。
冒頭、オスカー演じるルーウィンが猫を連れて地下鉄に乗ると、「家猫」だからかずっと外を見ている。カメラはその目線になる。ルーウィンも映画もそのことに頓着しない、でもその視線は確かにある、うまく言えないけど、そこで引き込まれた。


オープニング、暗いざわめきの中、ギターが鳴り、「BGM」でも作中の誰かが聴いてるのでもないなと思っていたら、マイクが映り、ルーウィンが歌い始める。映画の最後には、彼が離れたそのマイクに向かって「次の男」が歌い始める。
ルーウィンは、教授(イーサン・フィリップス)宅の夕食の席で歌ってくれと頼まれたあげく亡き相棒のパートを「ハモ」られて激怒、家を飛び出す。ローランド・ターナー(前髪揃えたジョン・グッドマン)とその付き人のジョニー・ファイヴ(ギャレット・ヘドランド)との車内でギターを取り出し、「はいご一緒に」なんて、なんなんだこれはって感じで歌う。施設に一人暮らす父親の前で、8歳の時に作った「ニシンの大群」を歌う。こうした場面の一つ一つが、ルーウィンにとって「これ」は何かということを繰り返し語る。


猫が登場する時のお尻が最高(最後に同じ場所をこちらに歩いてくる姿でプレ退場?するのも素晴らしい)。その軽やかな足音には参ったけど、世の中、そんな素敵な音ばかりじゃない。ルーウィンがジョニーと眠っている車の窓を叩く懐中電灯、ルーウィンが寝ている駅のベンチを叩く警棒などの音のカンに触ること。まるで「Just exist」、じゃない人間は休息するなとでも言うようだ。
一番印象的だった「音」は、ジーン(キャリー・マリガン)の家に宿泊していた青年トロイの、部屋の窓が閉まっている時と開いている時とでは全然違う声。登場時からいいなと思ってたけど、ルーウィンの開けた窓から風が入ると、その声が瞬時に変わり、今発とうとする彼が神秘的にすら見え、より魅了された。ルーウィンが「ロボットかよ」と言う彼のことを、後にシカゴのプロデューサーは「人を魅了する」と評するのが、不条理でも何でもなく、そりゃそうだと思える。


またそのことかって感じだけど、妊娠したのは「一応避妊したのに失敗した」というのがいい。ちなみにフィクションにおいて「女が男に怒る」機会の方が(「逆」に比べて格段に)多いのは、女の方が「関係を保たざるを得ない」状況が多いせいだと思う(この物語中のジーンはちょっと違う心持のようだけど)。変な話だけど、男が妊娠しちゃって、女が怒られるという場面を見てみたいものだ、そういうのって、どんな気持ちがするだろう?キャリーの男版みたいな子がぷんすかしてたら、ちょっとは「楽しめる」のかな?(「相互責任」にせよ、体の中に人間が居ると思うだけで「怖い」ものね)
それから、物語の最後にルーウィンが街角で目を留める映画のポスターが「三匹荒野を行く」。これ結構好きなんだよなあ、こういう時代の映画だったんだなあ。動物が「擬人化されていない」、動物のままというのが素敵な映画だから、この映画に合ってるなと思った。