ストリート・オブ・ファイヤー/ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ アディオス



ストリート・オブ・ファイヤー


滑り込みでようやく観賞。内容を全く覚えておらず初見みたいなもんだと思いきや、ツアーバスの中でソレルズが歌い始める場面でそうそう!と鮮やかに蘇った。あそこいいよね、作中リック・モラニスの笑顔が見られるのはあの時だけじゃない?


結構な移動映画で(考えたら西部劇が元なんだから、そりゃあ町から町への移動が大変なはずなのだ)、その辺で奪った車が主な手段なんだけど、私は電車が好きだから、電車のシーンがよかった。誰も乗っていない車両のクロスシートロングシートみたいにトム(マイケル・パレ)とエレン(ダイアン・レイン)が隣同士に座るなんて(こんな表現で分かるかな)、二人のその後を暗示しているようで。


楽しい映画だったけど、これが受けた当時の日本では、スクリーンやテレビの中と実生活とが完全な別物という見方がまだ出来ていたのかなと思わずにはいられなかった。寓話とはそういうものなのかもしれないけれど、皆がエレンの何に惹かれているのか分からなかった。エレンって赤ちゃんみたいなんだよね。トムもそう。赤ちゃんの周りを大人が固めているような話だ。


「俺は君の付き人になる男じゃないが、必要な時にはいつもいる」。古色蒼然の、男にとっての「いい女」が「もの分かりのいい女」なら、女にとっての「いい男」とは「昔の恋人」だろう。今なら(今あんな寓話が作られるなら)ビリー(リック・モラニス)の方は違うふうに描かれるだろう。


ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ アディオス


ストリート・オブ・ファイヤー」とライ・クーダー繋がりかなと思い、こちらもほぼ滑り込みで観賞。今回も映画はあの、一瞬台風かと見まごうハバナの海岸に打ち付ける波に始まる。そして「カストロが亡くなり国民は九日間の喪に服す」というニュース。


まずはヴェンダース版の豪華なコメンタリーのようである。私達がかつて見た映像、例えば彼らの初めてのステージにバンドマスターのファン・デ・マルコス・ゴンサレスの「自分の国に初めて触れたような気がした」なんて言葉が、二人が向かい合って歌を録音している姿にオマーラの「イブライムに『君は世界中の人とレコーディングしているが僕とはしたことがないね』言われた」なんて思い出話が流れる。


ワールドミュージックに大企業は付かない」「キューバ音楽はラテン音楽の中でも最も重要だが、アメリカとの国交が断たれたことにより世界のどこからも目を向けられなくなった」からの、CNNでの「ストーンズランディ・ニューマンとも仕事をしているライ・クーダーが最近口にするのは…」、映画のオスカー候補入り、グラミー賞を受賞したイブライムに対する入国拒否、などを経てのオバマの招待。そういう映画でもある。


ステージに立つメンバーの「観客はキューバの何を知っているのか」といわば訝しむ心の声が二度挿入される。私が彼らのライブに行ったら踊ってしまうだろうが、踊っていいのかなとも思う。でもオープニングクレジットでの歴史のかいつまみから「ツアー最終地、ハバナ」まで私達を誘ってくれるこの映画を見た後では、少し居場所があるように思う。


作中、オマーラが自分の顔を、感情のままに相手の顔や墓石に寄せるのがとても印象的で、顔自体が何というか一つの器官のようで、私もああいう顔の使い方をしてみたいと思わせられた。