遥かなる勝利へ



太陽に灼かれて」「戦火のナージャ」に続くニキータ・ミハルコフ監督・主演の三部作完結編。大粛清から独ソ戦期を舞台に、「ロシア革命の英雄」でありながら恋敵の陰謀により「政治犯」に仕立て上げられたコトフ大佐とその家族の姿を描く。


このシリーズ、毎回あまりのサービス精神に笑ってしまう。今回もワーグナーに乗せて誕生した蚊の視点で兵士達を見てゆくオープニングに肩が震えた。ミハルコフ演じる主人公コトフが早々にやたらかっこいい台詞を口にするのも可笑しい(主人公を演じる監督の中でも、ミハルコフの自分の役のかっこよさって、イーストウッドにも並ぶと思う・笑)でもあざとさや馬鹿馬鹿しさは感じず、映画を観た!という満足感で胸がいっぱいになる。前二作でこれを体感した記憶があるから、劇場に足を運び、また楽しめたってわけ。
冒頭は懲罰部隊の一兵として、仲間に「戦争には重要な者とそうでない者とがいる、残念ながら俺達は重要じゃない」と言っていたコトフが、終盤「大佐」に復活すると、「何も言わない」はずの男に「お前が大物でいられるのは、俺達みたいなどうでもいい人間のおかげだからな」と言われてしまうのが面白い。


冒頭、泥酔したダメ少将が思い付きでとんでもない命令を下す一幕がやたら長く、こんなことだから一作に二時間半も掛かるんだよ〜と思うも、全然つまらなくない。密室での一幕という点では同様に、思い出の家でコトフの「妻」のマルーシャがブチ切れるまでもやたら長いんだけど、こちらも目が離せない。この場面は作中唯一の「家」という空間がうまく使われており、二階での二人の会話、「下にいるのは『過去』の人たち」というセリフがいい。前作に続いて、オレグ・メンシコフ演じるドミートリがピアノを弾く場面があるのも嬉しい。ピアノの前の彼の横に人が入れ替わり立ち替わりやってくる画には、平面的な力強さがある。
戦争時に末端で起こるドラマを幾つか経て、終盤、駅(列車)・殺傷・結婚式という映画三種の神器!を矢継ぎ早に繰り出されてお腹いっぱい、どう終わるのかと思いきや、更にあんな展開が待ち受けているなんて。前作同様「爆発」シーンは少々のドリフ感あり(笑)


従軍看護婦であるコトフの娘ナージャが、これまでずっと「拒否」されてきた妊婦を車に乗せると、先客である兵士達の顔がスクリーンいっぱいに広がり、不穏な空気の後の「やあ」の、ほっとすること。生まれた子について一人が「ロシア人の子か?」と聞くのは、この戦争じゃ「レイプ」が「よくあること」だから。
作中(直接描写はされないが示唆により)存在する二つの「レイプ」や、マルーシャの「私は優勝旗やトロフィーじゃない!」という叫びなど、本気の訴えというよりドラマの材料のようにも感じられてしまうけど、見ていて嫌じゃないのは、全てが平等に扱われているから。コトフの「味方に拷問された」フラッシュバック、「君には分からないさ」との言葉も同じ、全てが同じなのだ。


追記:後日観た「キャプテン・フィリップス」において、ソマリアの海辺の村に現れた武装集団が村人達に海賊行為を強要するのに、ふと本作の冒頭を思い出した。ソ連の懲罰部隊の一兵であるコトフと本来なら最前線に居るはずのないドミートリは、前にドイツ軍、後ろはソ連の督戦隊!に挟まれ行き場が無く、ただただ逃げて生き延びる。「ボス」に命を軽んじられる者達は昔も今も、これからもずっと居る。