ソハの地下水道



とても面白かった。ナチス支配下ポーランドにおいて、下水道技師がユダヤ人を匿った実話を元に制作。原題は「W ciemnosci(In darkness)」、邦題はワイダの「地下水道」に掛けてるんだろうけど、ソハが最後に口にする言葉は、おれの「地下水道」じゃなく「ユダヤ人」なのだった。
映画の終わりに出てくる幾つかの文章が、どれも効いている。最後の最後は「ソハ夫妻のような人々が6千人はいた、本作は彼らに捧げる」。それで一気に世界が広がる。


本作の宣伝には、ウォールストリートジャーナルによる「英雄が出てこない『シンドラーのリスト』」という文句が使われている。主人公ソハが「刑務所に収容されていた経験があり、今は空き巣の常習犯」、いわゆる聖人じゃないということを意味してるんだろうけど、観ながらふと、その全く飽きさせない作りに、「プライベート・ライアン」にインスピレーションを得てミハルコフが作ったというノリノリの戦争もの「戦火のナージャ」(感想)を思い出した。もっともこちらにああいうケレンは無く、全てが「自然」だけども。
ソハがユダヤ人達を地下水道にかくまうと、次から次へと「ドラマティック」な事件が起こる。人間が下水道で暮らすなんて事態になれば、そりゃあ色々あって当然だと思う。「玉ねぎ料理の匂いがする」との通報から、今や将校となった旧友を「隠れ家」に案内しなきゃならなくなるのに始まり(この時、部下がネズミを撃ってしまうくだりなどすごく「映画的」)、恋愛模様に出産、ソハと仕事の相棒とのあれこれ、収容所への潜入(収容所の楽団は年始に「善き人」で観たっけ)、「細い水路を昇る」スリル、そして「クライマックス」の天災。最後に示される「人は神を利用してまでも人を罰したがる」という文章が、天災で命を落とした「悪者」に対する見方の幅をも広げてくれる。


ユダヤ人達が「地下に潜る」場面に結構時間が割かれている。このくだりでまず、戦争時に「自由」は無いのだということを実感させられる。確かに存在している色んな感情や意思を、全て封じ込めなきゃならない苦痛が伝わってくる。
地下水道において彼らは、何かに直面するたびに感情を露わにする。暗闇にあらゆる顔が現れる。苛立ちから物にあたる場面が何度もある。そして終盤、ユダヤ人達、ソハ夫婦いずれにも、どうしようもなく可笑しくなり笑い出してしまうシーンがある。これがとても良かった。
当初は金銭のために場所の選定や食糧の調達などを行っていたソハの方も、そのうち人を殺したり埋葬したりしなければならなくなる。その時は否応無しにやってくるので、考えている暇や選択の余地などない。そもそも彼が、自分の娘に手をあげる(あげそうになって妻に止められる)のだって、もしかしたらこれまでなかったことかもしれない。


「路上育ち」のソハは屋根裏のような粗末な住居に妻と娘の三人暮らし。冒頭のベッドシーンに始まり夫婦仲がいいのが見ていて楽しい。ぶよった体同士で「背中を(虫に)くわれたから掻いて」なんて言ってるうちに始まるんだけど、ああいうセックスシーンを映画で見るのっていいなあと思う。仕事を終えて帰宅すると妻が湯を沸かしている、桶を持とうとするのを一緒に運んだり、その後に妻が彼の体を洗ったりする様子も良かった。
それから、予告編の時点で思ってたんだけど、私の好きな潜水艦映画と通じるところがある。「音を立てないようにする」という要素は意外にもあまり無かったけど、暗さと息苦しさ、ネズミ、浸水、また終盤の地上戦の振動は魚雷の攻撃を受けてるようだった。