桃さんのしあわせ



冒頭、テロップで「実話を元にしている」旨と、タオさんのこれまでが示される。そこには「日本」も関わっている。八百屋で熱心ににんにくを選ぶタオさんと、それを嗤う男たちの姿が、少々ぐらついたドキュメンタリー調の映像で映し出される。タイトルは「桃姐」の下に小さく「simple life」。


おそらく「いつも」の、ロジャー(アンディ・ラウ)とメイドのタオさん(ディニー・イップ)の様子。ロジャーが出張の用意のために開けたクローゼットには整然と並んだシャツ。台所の机で蒸し魚の夕食の後、居間のソファに移るとお茶と果物が出てくる。ロジャーは彼女と目を合わせず、言葉も交わさず、魚の上のネギをぱっぱと箸で除ける(あれは「普通」は食べないものなのかな?)。
ソファとテーブルに敷かれた白いレースが、二人の時にはきれいに置かれ、タオさんが倒れた夜にはロジャーの背中でゆがみ、その後は洗濯中なのか、時折無い日もある。一方後に出てくる老人ホームのソファのレースは、いつも掛かってるけど、手入れされていない風。


経営者(アンソニー・ウォン!)によると「コンビニみたいにうじゃうじゃ建てた」老人ホーム、初めて見た時には漫画喫茶かと思う(笑)入所の日、「個室」に辿り着いたタオさんは、持参したバッグに顔をうずめて横になる。見様によっては笑いにも悲しみにもなる「食事」の一幕、「トイレ」の一幕を経て、そのうち観ているこちらも馴染んでくる。タオさんはいつしかそこを自分の住処とし、自分より「弱い」者のために出来ることをせんと心がけるようになる。それこそコンビニみたいに、透明なドアの向こうはすぐ「外」だけど、その「内」には確固たる社会があり、ドアの手前にいつも座ってる男性は、ずっと座ったままなんだろう。軽々と出入りする人達との対比が効いている。
ホームの主任は、今年観た映画の中でも大好きな登場人物の一人。始めはなんて素っ気ないんだと思わせられるけど、麻雀の場面あたりからその味が見えてくる。タオさんが彼女達に引っ張り込まれてブドウを食べながら卓を囲む場面と、ロジャーが同級生達とタオさんが冷凍しておいた牛タンの煮込みを食べながら札?をやる場面とが交互に映されるくだりは楽しい。彼女は新年には髪型こそ華やかにするが、「皆に休んでもらわなきゃ」と一人で職場に詰める(もっともその真意は分からない)。


冒頭、ロジャーの旅の準備の内容やそれらを扱う手付きで、彼の「育ちのよさ」が分かる。食堂の箸をお茶で洗い直す場面、また全編に渡り、公共の場ではリュックを前に抱えてきちんと座っている姿も印象的だ。
始めはタオさんと一緒でも両のポケットに手を入れて歩いているのが、終盤に車椅子で公園に連れて行く時には、全てに手慣れている。ここでロジャーが彼女の顔を拭いたティッシュを捨てに行く場面、久々の「帰宅」からホームに戻る際、タオさんが猫に挨拶してる横を早足でドアに向かう場面、ちょっと離れた所で仕事の電話をする場面など、「壮」という感じのアンディ・ラウをまぶしく、同時に距離を覚えてちょっと寂しく思う。そんな立場になったことないのに。電話の場面で、久々の外出に見上げると木の葉が風にそよいでる、ああいうのがいい。
「タオさんも尽くしがいがあったわね、面倒みてもらえて」なんて姉に言われたロジャーは、笑顔で「互いに看病し合えて恵まれてる、神はコンピューターで命運を管理してる」と返す。そんな、無邪気すぎるといえるところもいい。そして彼が言うところの「お互い様」を表すように、始めはタオさんが、終わりにはロジャーが、相手の「世話」の合間に、立ったままそそくさと食事し始める。


ロジャーの職業が映画のプロデューサーということで、豪華キャストが出演&本人役で顔を出しているのが楽しい(私には多分、一部しか分かってないけど)。プレミア試写のエピソードでは、試写会場の場面で始まる「マンマ・ゴーゴー」(感想)を思い出した。こちらは「実の母」が「アルツハイマー」となる話、内容も全然違うけど、映画の作り手の実体験が元になっているのは同じ。
ロジャーのアシスタント?の女の子や、彼が仕事仲間のサモハン&ツイ・ハークと行く店の女の子がよかった。いわゆるイイ顔のおやじが出てくる映画は誉めそやされるものだけど、私としては、「一般的」にはぶさいくな女の子がさらっと(「ブス」役じゃなく)出てくる映画もいい。「特別」じゃなくても存在を認められてるわけだから。