オレンジと太陽



ケン・ローチの息子、ジム・ローチの初監督作を岩波ホールにて観賞。「映画の日」のためか満席でびっくりした。イギリス政府による「児童移民制度」により苦しむ人々を助けてきたマーガレット・ハンフリーズの実話を元に制作。主演にエミリー・ワトソン


物語は静かに始まる。まずはソーシャルワーカーであるマーガレットの「いつもの仕事」、母親から子どもを「離す」様子が示される。「養子の会」での職務を終え帰路に着く彼女の前に一人の女性が現れ「私が誰なのか調べて欲しい」「子どもだけで船に乗りオーストラリアに連れていかれた」と言う。話半分に聞き流すが、後日「養子の会」のメンバーも自分の弟が同じ境遇だったと口にする。奇妙な一致。これが「切っ掛け」だ。
本作は「巨悪を暴く」といった方向には進まない。彼女は(少なくとも作中では)依頼により「家族(母親)」を探すという自分の仕事をこつこつ続けていく。なぜなら彼らが望むのは、まず「自分は誰なのか知りたい」ということだからだ。


冒頭から、エミリーがとても優しく美しく見える。バレッタでまとめた髪(舞台は1986年)や上品なスーツの着こなし、揃えた脚、他人の話を聞く横顔。しかし途中から、そうか、映画そのものが優しく美しい気持ちで撮られてるのかと気付いた。父親ケン・ローチの優しさとはまた違う、ただただ真っ直ぐな…パブの場面なんかの空気の違いが面白い(笑)
彼女は非常に聡明で冷静な人物として描かれている。頑なに腕を後ろに組んだままのレン(デヴィッド・ウェナム)に「俺のことを嫌いだろう」と言われれば「あなたの中の少年は好きよ、まず彼を探しましょう」、機関の人間に責められれば「非難するつもりはない、あなた方に汚名をそそぐ機会を与えているだけ」。ジャック(ヒューゴ・ウィーヴィング)に話をする際、「一生忘れられない日になるんだから、もっといい部屋を」と職員に要求し、窓を開け花を飾る場面も印象的だ。
やがてマーガレットは政府や教会関係者から責められ、脅迫電話を受け、暴漢に怒鳴り込まれる。しかし彼女が最後に壊れた原因は「他人のストレスを自分に取り込んだ」ためだった。


物語は少々意外な、しかしそれしか有り得ないというようなラストを迎える。子どもたちが収容されていた教会を訪ねた後、ショック状態になったマーガレットはレンに対し「これで終わりってことは無いのよ、あなたが失ったものを私は返してあげられない」と言う。すると彼は「俺は八歳を最後に泣き方を忘れた、でも君がいてくれる、俺たちのことを分かってくれる、それでいいんだ」。ここにこの映画の意義もあるのだと思った。彼らに対し彼女がしてきたことを肯定し、双方に映画として出来る支援をすること。
そして、オーストラリアでのクリスマスパーティにおいて、幸せそうな人々の中、イギリスからやってきたマーガレットの小さな息子が「あなたは皆に何か贈らないの?」と訊ねられて口にする「ぼくは皆にママをあげたよ」というセリフ。この苦さがいい。


翌日「孤島の王」を観たら、期せずして、子どもへの虐待を扱った作品が続くことになった。虐待シーンの一切無い本作と、子ども視点の「孤島の王」とは随分違うけど、最後が実際の映像で終わるのは同じだ。マーガレットが神父たちに対して放つ「あなたたちは怖れることはないのよ、大人なんだから」という言葉が心に残った。
ちなみに二作とも、少年が歌を歌うこと(実際に、あるいはそのイメージ)が不吉なサインであり、その後に性的虐待を受けるんだけど、そういう何かがあるんだろうか?