ラップランド・オデッセイ



フィンランド映画祭2011にて観賞。上映前に監督の挨拶、後にティーチインあり。
失業中の主人公が恋人を引き止めるために仲間とデジタルチューナーを買いに行く、一夜の旅の物語。面白かった。


上映前に監督が「この作品は友人の脚本家の体験から作った」「男女平等のフィンランドといえども男の役割とされていることがある、電化製品の購入など…」と言うので、そりゃ大変だなあと思いつつ観始める。しかし主人公ヤンネが恋人から預かったチューナーの購入費で飲んでるうちに電気屋が閉まってしまう、仲間二人を連れて帰宅、うち一人が恋人が掃除したばかりの部屋に酒をこぼす…という描写に、なんだまたいわゆる「ダメ男・仲間」ものか、と少々がっかりした。でも観ているうちに印象が変わってくる。


警官に追われたヤンネが「バチェラーパーティの最中なんだ」とごまかす場面があるように、確かに一見「ダメ男」たちのロードムービーフィンランド版「ハングオーバー!」だ。でもそれは「一見」。そもそもこの映画は「自殺の木」で始まるんだもの、登場人物の背景が違う。監督によれば「フィンランドの地方では若い男性の失業率が4割を超えている、そういう人達を元気付けるために作った」。
「アナログ放送が終わるなんて、俺が何か悪いことしたか!」と雪原で叫ぶヤンネ。冬には「マイナス15度」になるあちらでは、日本よりずっと、うちの中でテレビを観る幸せが大きいんだろう。作中では、行く先々の家でテレビのスポーツ番組が観られている。


家に帰ったヤンネは、ベッドに眠る恋人と男に朝食を持っていく(「ベッドイン」は誤解なんだけど)。男が心配したように銃に手をかけることもなく、にこやかにお盆を掲げて。しかし彼女は彼を愛していた。その頃、彼と道のりを共にした友人は、村の「自殺の木」をせっせと切り倒していたのだった。なかなかいいラストシーン。もっともこれは、主人公の根性と恋人の愛あっての、映画ならではの結末だけど。


監督は私と同世代(70年代半ばの生まれ)、主人公は「1978年」生まれ。冒頭、バーでカウリスマキ映画みたいな音楽が流れるので、飲み屋ならそうなのかと思いきや、終盤、主人公が車で聴くのも演歌みたいな曲。フィンランドってほんとにああなんだなあ。その隣で、冷えた裸足の指を車のヒーターであっためる友人の姿がいい。


映画祭の会場がたまたまビックカメラの入ってるビルだったんだけど、監督いわく「向こうにはこうした大きな電化製品の店はない、主人公が住むラップランドの場合、電化製品を買おうとしたら一番近いのが(作中出てくる)200キロ離れたロヴァニエミなんだ」「撮影中に食事を頼んだら、100キロ先の店まで買いに行ってたよ。戻ってきて、コーヒーを忘れたとまた出て行った・笑」。本作は、そんなふうな距離感覚の人たちの話なんだとか。意外とそれは感じなかったけど(笑)