ヒマラヤ 運命の山



「なぜ登るのかね?」
「画家はなぜ描くと思う?」
「登山家はアーティストだというのか?つまりエゴイストだな」
パトロンと同じさ、絵が完成しさえすればいいんだ」



原作は「裸の山 ナンガ・パルバート」。登山家ラインホルト・メスナーが、70年のナンガ初登頂の際に弟を亡くした体験を綴ったもの。自身の企画持込みによる映画化だそう。


オープニングはナンガ・ルパール壁の空撮。前人未到のルートである絶壁に、人間がアリのようにへばりついている。おおっと思わせられるけど、カメラが寄って当の二人が映し出されると、なんというか、軽い。そこまで登ってきた重みが感じられない。さらに言うなら、「映画」という感じがしない。
登頂に成功した二人が抱き合って喜ぶと、場面は替わり、遠征のリーダーであったカール博士(カール・マルコヴィクス…「ヒトラーの贋札」サリー役、「マーラー 君に捧げるアダージョフロイト役)の講演会場。彼が「山頂に弟を捨ててきた」ラインホルトを非難すると、松葉杖をついた本人(役)が現れ、一部始終を語るという構成になっている。


チロル地方の渓谷を臨む家に育った兄弟は、山登りに夢中になり、ナンガに思いを馳せていた。墓地の壁をよじ登り、牧師に「なぜそんなことを」と叱られると「壁があるから」と答える兄と「分からない」と言う弟。牧師は「死者はともかく、生者を敬うように」とたしなめる。
成長した二人は(作中の描写からすると)あっさり遠征チーム入りを果たし、陽気にバイクで出掛けていく。時代も違うけど、「アイガー北壁」ペアが自転車で700キロを行くのに比べたら、随分ラクなものだ(笑)
「ナンガに散った兄の夢」に固執するカールは、神経質な付き合い下手で、登山家からの評判は悪い。チームの面々にも色んな人がいる(…はずなんだけど、あまり浮き彫りにされない)。めいめいの思惑が交錯し、様々な要因が重なり、なんだかめちゃくちゃだな!と思っていると「悲劇」が起こる。装備無し、ザイル無しで過酷な環境下に放り出される二人。
最も印象的だったのは、絶望的な下山の後、現地人に発見されたラインホルトがぼろ切れのように運ばれるくだり。彼らの側の事情は全く描写されないのが面白い。


ラインホルトは、この体験以降「本当の、プロの登山家」になったという。映画のエンディングでは、彼がナンガに「弟を探しに何度も出向いた」「再び装備も仲間も無く登頂した」ことが語られる。頂上で一人晴れやかな顔の写真はよかった…と思ったら、本国版のポスターはその写真が使われてるんだな。