ブルーバレンタイン


ミシェル・ウィリアムズライアン・ゴズリング主演。娘と共に3人で暮らす夫婦、シンディとディーンの終わりの物語。



口説き文句に「きれいな女は悪女だから、君もそうだろ?」、「もう愛してない」と言われれば「俺は愛してる、俺は変わる」の一点張り。なんてロマンチックな男なんだ!ぎゃー!と思いながらも面白かった。
(学生時代、勝手に部屋の模様替えされたのが切っ掛けで別れたことのある私としては、あのお爺ちゃんが喜んでくれるかどうかはらはらしてた・笑)
私もディーンと同様、人生において特に「意義あること」はしたくないけど、愛で持ってる暮らしであればこそ、相手に愛を強いてはいけないと思ってる。


「恋愛映画」って、どうしても、私は幸せだ、あの男はいい、いやだ、私ならああする、ああしないって自分に引き寄せて観てしまう。あるいは登場人物のほんのささいな言動に、何かを思い出してしまう。ストーリーや二人の演技を楽しみながらも、前半はそういう観方から抜け出せず、「恋愛映画」って何だろう、それを観るってどういうことだろう、なんて考えてたけど、途中から違う面白さが出てきた。
フラッシュバックにより構築されていく二人の「過去」。妊娠の原因、出会いのタイミング、彼がロマンチックであるがゆえに妊娠の事実を告げることになる経緯…緊張とドラマをはらみ、出来すぎなほどよく出来ている。それがこちらに染み込むことで、快いほど、先ほどまでのものが違って見える(「過去」を知る快感という意味で、「幸せの黄色いハンカチ」を思い出してた)。シンディの娘、父親、生まれ育った家を終盤再び目にしたときの熱い気持ち。そして、ああそういえば今日はこの日か、さらにはエンディングの歌が、作中聞いた時には無かった感慨を誘う。


ただ、サマーにしてもブルーバレンタインにしても、他の恋愛ものの多くも、男の方が女(の、端的に言って見た目)に惚れる話だから、どんな展開になっても、いいじゃん好みのルックスの相手と出会えて付き合えたんだから、と思ってしまう。たまには逆の話も観たい。「ハッピーエンド」じゃない、女がかっこいい男に惚れてほろ苦い経験をする物語。


ブローン・アパート」(感想)の時にも思ったけど、ミシェル・ウィリアムズは現在、世界一ミニスカートとブーツが似合う。作中言われるような「スーパーモデル」的にじゃなく。「現在」ではもう、そういうカッコしない(だろう)のが哀しい。


本作では看護士のミシェルは、現在レンタル屋の新作棚に並んでる、ルーカス・ムーディソン「マンモス」('09)でも同じ病院勤務。もっともこちらは仕事中にはメガネを掛ける外科医の役。

ジャケと邦題からは全く!想像できないけど、ニューヨークに暮らす一組の夫婦(ガエル・ガルシア・ベルナルミシェル・ウィリアムズ)を中心に、世界の色んな親子がつながっており、それぞれの問題に直面するという話。この冬、同監督の「リリア 4-ever」(感想)を観ておいてほんとによかった。観ていなければ、おそらくこの作品の意味は掴み難いだろう。誰が幸せか、誰が悪いのか、なんてことじゃなく、自分の暮らしそのものを振り返させられる。