ドラゴン・タトゥーの女



公開初日、バルト9にて観賞。スウェーデンの作家による小説「ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女」を、本国版「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」(感想)に次いでハリウッドで映画化。


(以下、いかにスウェーデン版の映画が好きで、本作が好きじゃないかということを書きます。原作読んでないから、先に観たものと比べてるだけ。加えて「ネタバレ」もしています)


スウェーデン版ではミカエルとリスベットが出会うまでかなり長く感じたものだけど、こちらはそうでもなかった。二人のパートは「悲鳴」で繋がれる。後で書くようにこの「リスベット」には心惹かれないにも関わらず、私が「物語」のその後を知っているせいか、作中、いや「女を憎む男たち」(原作タイトル)が在るこの世界において、ミカエルの存在そのものがあったかい、素晴らしいものなのだとしみじみ思い、早く出会ってほしいと、変な話だけど涙がこぼれてしまった。
しかし二人が出会ってからは何とも拍子抜け。二人の関係についても、それ以外についても、自分の求める描写は無く、欲しくない描写ばかりがあるという感じ。原作から違う部分を抜き出したにせよ何にせよ、描きたいものが違うのだろう。


ルーニー・マーラのリスベットは、私には受け入れられなかった。新しい後見人に「眉のピアスをどう思ってるんだ?」と言われ目をそらす場面にまずがっかりした。スウェーデン版のノオミ・ラパスの、強い目が好きだった。エスカレーターで荷物を取られそうになる場面も、あんなにスマートに「悪」に対処できるんじゃ、彼女の生きる世界の切実さが伝わってこない。ぼこぼこにやられて、キレてみっともなくやり返すのが好きだった。あのファッションも髪型も、自分を守っているというより単なるお洒落に見えた。まあ全て、「こういう物語の主人公は、こうあってほしい」という私の希望に過ぎないとも言えるんだけど。
ダニエル・クレイグの美しさには十分楽しませてもらった。普通の人がやってたら、おじいちゃん大丈夫ですか?って感じの老眼鏡使いが最高に決まってる。お召し替えも頻繁だし、いきなりのパンツ一丁や尻の割れ目(非・全ケツ出し)など見どころがいっぱいだ。
しかし彼によるミカエルの美しさも、私には少々不満に感じられた。リスベットの後見人が醜い腹を彼女の前に突きつける時、確かに、性欲を露わにしながら自らの「魅力」を顧みないやつこそ「女を憎む男」だけど、ミカエルの魅力との対比に、そういうもんなのか?と思わざるを得なかった。スウェーデン版では、彼と後見人のルックスは同じようなもんだった。
後はそれこそ好みの問題だけど、エリカ(本作ではロビン・ライト)やミレニアム誌のオフィスなども、スウェーデン版の方がずっとぐっとくる。ああいうおばさんが白ニット着てるのがいいのに。


ミカエルの傷口をフロスで縫う時のリスベットの顔が見ものだ。大事な相手に良かれと痛い思いをさせるなんて、きっと初めてのことなんだろう。この後、尚も痛がるミカエルの前で、おそらく気をまぎらわせようと、彼女は下着を下ろす。始めリスベットが上だったのが、ほどなく「反転」し、ミカエルが上になり、いわゆる「ラブシーン」の空気が流れる。これにもがっかりした。正常位自体がどうってんじゃなく、この話において、そうして欲しくなかった。ちなみにスウェーデン版では、彼女が傷をどうこうする描写は無く、彼の怪我とセックスとは関係がない。ふとやってきて、事を終え、部屋を出て行く。「理由」が無いのがいい。
終盤「犯人」に捕らえられたミカエルをリスベットが救出、一言「殺していい?」と確認してからその後を追う、というのは原作にある描写なんだろうか?スウェーデン版ではそのまま飛び出していく。事後、ミカエルいわく「俺だったら(「事故」に遭った犯人を見殺しにはせず)助けてた/でも君の気持ちも分かるよ」。この、個と個がぶつかりつつも気持ちの通じ合ってる感じが好きだった。
ラストも「リスベットの顔を見付けたミカエルがにやりとする」だけのスウェーデン版の方が一億倍いい!本作のラストシーンにはえっ、そんな話だったのとショックを受けてしまった(笑)


なんだかんだ言っても、二時間半、飽きずに楽しく観た。予告編ではさほど感じなかった「雪」の描写がすごかった。まさに向こうから吹き付けてくる。対して最後にストックホルムに降る雪は、とても穏やか。クリスマスに始まり、クリスマスに終わる、ロマンチックな物語だった。