アメリア 永遠の翼


映画におけるアメリア・イヤハートといえば、「ナイト・ミュージアム2」だけでなく、「キット・キトリッジ」のアビゲイル・ブレスリン演じる主人公が、秘密基地に写真を貼ってたのが印象的だった。女の子の憧れなんだなって。



冒頭は1937年、世界一周飛行の途中、機上のアメリア(ヒラリー・スワンク)。大自然の映像に音楽の雰囲気もあいまって、ふと「野生のエルザ」を思い出してしまった。
次いでアメリアとジョージ(リチャード・ギア)の出会いが描かれる。「女性は操縦に向いてない」と言うジョージだが、「それはそれ」として、二人の間の空気…冗談の「タイプ」が似通っており、なんとなく相手を許せちゃう、という感じはそこそこ出ていた。
この映画で描かれる「アメリアの生涯」はこの出会いが起点だ。それまでの生い立ちは、この時点でのアメリアの描き方に託されている。彼女はどんな人間か?
ジョージに結婚を申し込まれると(この映画では、ジーン(ユアン・マクレガー)と一緒の所を見て不安に駆られた彼がたまらず求婚、というふうに描かれている)、彼女は「私は結婚に向いていない」と答える。そしてしばらく後「あなたに誠実な夫であることは求めません/私にも古臭い貞操観念はありません/一年経って幸せを感じなければ、離婚して下さい」と伝える。さらには結婚式の誓いにおいて「敬うようにはするけど、従うかどうかは状況によるから分からないわ」笑ってジョージ「そこはカットして」。「とにかく飛びたい」「そのためなら何でもする」彼女が、他人に真面目に対しているのが分かる。


アメリアは、作中自身で言うには「ただの、空の冒険家」。しかし、少しでも多くその側面を描こうと頑張ったのか、一つのセリフ、一つのシーンに、多くの意味を背負わせすぎている感を受けた。アメリアが「女性運動家」でもあったことは知らずとも推測できるから、同性の後輩となればそこに意味が出てくるはずだけど、実在したエリノア(ミア・ワシコウスカ)を登場させながら「そこにいる」だけなんて却って不自然。自分に熱狂する人々に疲れて「不況なのに皆はしゃぎすぎよ、ホームレスだって多いのに」というセリフも唐突だ。
例えば大学での講義に機上の格好のままで行こうとするのを、根っからの商売人のジョージが「ファッションは戦略だ」とか何とか言ってドレスを薦めるシーンなどは、彼女の「素朴」さが出ており面白い(しかしヘアスタイルは場面ごとに微妙に変えられており、どれも素敵)。ちなみにドレスについては、ユアン演じるジーンとの終盤のやりとり「私の脚はきれいじゃないもの」「そんなことない、だからパンツを履くのかい?男と張り合ってるのかと思った」「かつてはそうだったけど、今はそういう気持ちはないわ」というやりとりが印象的だった。これは実話なんだろうか?


ユアン好きの同居人が言うには「あの笑顔がいいんだよな〜憧れる」。私は久々にタバコ吸うところが見られて満足。
ヒラリー・スワンクは、「ミリオンダラー・ベイビー」の時もそうだったけど、肩甲骨が美しい。流行もあるんだろうけど、背中を出したドレスが多く目を楽しませてくれた。ユアンとのただ一度のラブシーンで、彼はその肩甲骨に手を伸ばす。
それからヒラリーって、上着を「掻き合わせる」仕草が似合う。ふわふわの襟巻きが付いたコートを着てるシーンでそういうのが多かった。


私が持っているアメリアの関連本は「アメリア・イヤハート 最後の飛行」のみ。この本は彼女の「最後の飛行」に関するある説を(多くの資料に基づいて)主張するもので、このようなタイプの伝記映画にはあまりかぶるところがない。しかし例えばジョージの求婚を六度断っているなどの「事実」は、知っていると面白い。
ちなみにアメリアが「レディ・リンディ」と呼ばれることを嫌がった(どのような資料によるものかは不明)という記述もあり、これは彼女の言動からして当然だと思われるので、映画においてその呼び名が何度か出てくるのにそのことに触れていないのは気になった。

アメリア・イヤハート最後の飛行―世界一周に隠されたスパイ計画 (新潮文庫)

アメリア・イヤハート最後の飛行―世界一周に隠されたスパイ計画 (新潮文庫)