リトル・ランボーズ


全編どこを切り取っても、男の子が男の子のことを気にかけ、憧れている。かつて少女だった私は、「少女の素晴らしさ」なんて言われてもアホかと片付けてしまうから、こういうのフェアじゃないんだけど、最後の映画館のシーンで、男の子ってなんて素晴らしいんだろう!と涙がこぼれた。だってウィルとリーは、どんな大人になっただろう?はっきり言って知りたくない、「男の子」のままであってほしい。そう思ってしまう映画って、いいのか悪いのか…(笑)



80年代初頭、イギリスの田舎町。11歳のウィル(ビル・ミルナー)は、学校一の「問題児」リー(ウィル・ポールター)と知り合い、彼の家で観た「ランボー」に魅了される。それは厳しい戒律の元で暮らすウィルにとって、初めての「映画」。二人は、自分たちの「ランボー」を撮り始めるが…


映画に「ものづくりをする子ども」が出てくる場合、その内容や表現に重きが置かれると、ひねくれてる私は、そりゃあ大人が考えた「子どもが考えそうなこと」でしょ?なんて思ってしまうから、そのへんの描写があっさりしてたのは良かった。描かれるのは、あくまでも彼らの気持ちや関係だ。


冒頭に描かれるウィルの日常。学校の壁の落書きは、彼の目線に沿った帯状に部屋をぐるっとデコレーションしている。聖書の中身。金魚鉢の記録。まるで、世界に彼だけのレイヤーがかかっているような感じ。このあたりの表現にまずぐっときた。
リーの方は、チラシに「スタンド・バイ・ミー」が挙げられてたからってわけじゃないけど、リバー・フェニックスをいい意味でしょぼくした感じ。映画館の客席での登場シーンなんて、いかにも昔のリバーがやりそうなカッコ、彼なら様になるのが、どこか隙と味わいがある。とにかく顔が素晴らしい。


そして、私にとって重要なのは、舞台が「1982年」だってこと(←とチラシにあるけど、作中カーターが病院で観ているテレビに「80年」という文字が出る。どっちなんだろ?)
74年生まれの私は、80年代「始め」のあの感じ、日本の女のコ的に言えば「8ビートギャグのネタの数々」的な世界は、弱冠後追いで憧れるしかなかった。だから冒頭、学園バンドの演奏と共に(というか、演奏止めてしまうんだけど・笑)ディディエが登場するシーンから炸裂する「あの感じ」に胸ぐらつかまれた。彼のかっこよさにではなく、そうだよね、あの時代に生きてたら当然ああしたいよね、っていう「同志」的な感動。Tシャツに漢字!一方のイギリスの女の子は、白いソックスにヒールの靴!「6年生の娯楽室」のきらめき(と、「消しゴム」「ドンパッチ(じゃないけど・笑)」などの可笑しさ)。
交換留学が終わって学校を去るバスの中でのワンシーンで、ディディエのフランスでの日常が分かる。これは私にとって「どんでん返し」であり、作中一番ぐっときた。