七瀬ふたたび


シネ・リーブル池袋にて観賞。レディスデーの夜なのに観客は少なく、私以外おじさんばかり。
これまでの映像化と比べるという楽しさ込みだけど、結構面白かった。


昔、性犯罪に遭ったため、わざと太った女性の話を聞いたことがある。七瀬は男の「欲望」(…というものがある、という「フィクション」によって、またそれが生まれると私は思ってるけど)を目の当たりにしながら、それを喚起する容姿を保ち続ける…すなわちそれを「認め」た上で「女」であり続ける。それはある種の男性の理想だろうか?(と、男性ばかりの場内で考えた)
七瀬シリーズ」とは私にとって、そうして育ってきた人間がどういう女になるか、という話。だから筒井康隆が今回「これまでの中で最も七瀬らしい」とコメントしたと知り、原作者が、そういう女はこの映画の七瀬のような顔をしてると考えてるのかと思い、観たくなった。



本編前に上映される「七瀬ふたたび/プロローグ」の監督は中川翔子。オーソドックスな作りで楽しい。多岐川裕美が七瀬の母親役で出演してたのが嬉しい驚き。


物語は「敵」との初接触…七瀬(芦名星)と友人の瑠璃(前田愛)が帰国時に狙われる場面から始まる。二人のとんちきっぽい格好が、どこか閉鎖的で浮き足立った物語世界へと誘ってくれる。岸利至によるテーマを繰り返す音楽の使い方も、少年ドラマぽい雰囲気で気持ちが盛り上がる。
その後、原作の前半部分にあたる、七瀬と各人との出会いがモノクロ映像で挿入されていく。芦名星はモノクロ映えして美しく、夜行列車でノリオに呼び掛ける姿など神々しいほど。しかし終盤、モノクロからカラーに変わるとあるシーンでは(モノクロの方が良いあまり)興ざめしてしまった。これは撮り方の問題かな。


筒井康隆は「テレパス」の「感覚」を文章で表すという遊びをしたかったのかなと思う。原作で描かれるのは七瀬の「感覚」、仲間とのめぐり合い、思考のやりとりだ。映像の場合(私は「木曜の怪談」版のみ未見)、周囲の「心」の表現や「敵」とのバトルに重きが置かれるから、なんだかしょぼく感じられる。
例えば七瀬と瑠璃がバーで男二人と知り合う顛末は、原作では「七瀬も気持ちがよくなるが、相手の『心』への拒否反応の方が大きいため逃げ出してしまう」という事態が描写されるんだけど、この映画ではそこまでの手間は掛けてないから、七瀬って「潔癖症」なのかな〜という程度の、のっぺりしたエピソードで終わってしまう。


ダンテ・カーヴァー演じるヘンリーは「ぼくは『ガイジン』だから…」というようなことを言う。七瀬は同じ能力者である西尾に密室で襲われるが、それは互いに能力者でなくとも有り得る事態だ。七瀬の主な仲間「女・黒人・子ども」って、少なくとも原作当時の日本においては、ただでさえ非力なものだったんだろう(今はそれほどじゃないから、説明として上記のセリフが挿入されている)。とくに原作には暗い雰囲気があるため、時代って「良い」「悪い」どちらかの方向に進むものじゃないけど、この頃よりは今に生まれてよかったと思ってしまう。


それにしても、こんなこと言いたくないけど、ノリオ役の子がもうちょっと可愛かったら楽しいんだけどなあ…了(田中圭)にしてもそうだけど、この作品の映像化って「女」へのサービスは(役者選びにせよ何にせよ)皆無だよなあ(笑)
ダンテ・カーヴァーは、禅の本を出して見せたり明太子をつまみぐいしたりと間抜けな場面が多々あるけど、悪くなかった。どうやら「料理が得意」という設定らしいんだけど、ご馳走シーンはなし。
「敵」役の吉田栄作、私は結構好きなんだけど、前回スクリーンで観た「真夏のオリオン」に比べて随分精彩がなくなっており寂しかった。若いうちにもっと色々映画に出て欲しかった。


最後に物語を左右するのは、藤子(佐藤江梨子)の持つタイムトラベル能力。タイムトラベルを「パラレルワールドの創造」と解釈し、「悲劇的なままの世界」を放置して新たな世界に移ることを躊躇する彼女に対し、原作の七瀬は何も言えない。しかしこの映画の七瀬は、その行為を「少なくともあなたは生き続けることができる」と肯定し、自分や仲間がどんな形であろうと「生き続ける」ことにこだわる。
ラストは原作と大きく異なっており、観客は「七瀬『ふたたび』」というタイトルに新たな意味を見出すことができる。面白い手だなと思った。