小さな村の小さなダンサー


バレエダンサー、リー・ツンシンの自伝の映画化。中国の農村出身の少年が、北京からアメリカに渡り才能を開花させる物語。



予告編から想像してたよりずっと「娯楽的」で分かりやすい作品。場内では笑い声が幾度もあがっていた。私も面白かった。
観ながら、ダンサーが出演している映画はミュージカルに見える瞬間があるということに気付いた。窓に駆け寄る少年たち、歩道に立つ主人公、ベッドに倒れこむ妻、何てことない仕草がまるで踊っているよう。


リーを演じるのはバーミンガム・ロイヤルバレエのプリンシパル、ツァオ・チー。「素晴らしい肉体ね」と言われる場面があるけど、アディダスのジャージで立ってるだけで絵になる。踊りはもちろん、生真面目で固い表情に惹きつけられた。人生で数回しか見る機会がないであろう、素直で…素直すぎて危険な目。ちょっとブルース・リーを思い起こしながら観てた。


北京の舞踏学校の練習の様子は、ダンスというよりマスゲームに見える。ジャンプのたびに木の床がぎしぎし大きな音をたてるのも印象的。視察にやってきたヒューストンバレエ団の主任ベン(ブルース・グリーンウッド)は、生徒達について「技術はあるが無表情で惹かれない」「皆ダンサーというよりアスリート」「だが1人は別格」「彼は素晴らしいダンサーだ」とリーを引き抜く。
リーは北京に連れてこられるまでバレエなど知らず、数年の練習を経ても面白さを感じない。彼を見込んだ教師がこっそり託したビデオテープでバリシニコフの踊りを見て、特訓に励むようになる。下地のない彼が「ダンサー」になったのには、性分もあるし、子どもの頃に父親に語ってもらった物語、ひいては故郷での暮らしが下地になっていたであろうことが、語り口から何となく想像できる。


舞踏学校を訪れた江青が舞台に対し「銃がない」と文句を付け、次回には制服を着けたダンサーたちが銃を持って踊るというくだりがある。芸術に政治を持ち込むな、ということなんだろうけど、「政治」要素があろうとなかろうと、表現されるものには思想があるわけだから、「芸術」だって受け入れることのできない人がいるよなあと思った。


「資本主義の国々は劣っている」と教えられて育ち、初めてアメリカ・ヒューストンにやってきたリーは、高層ビルを見上げ、教わったばかりの「fantastic」という言葉をつぶやく。始終紺のスーツに「赤いネクタイ」(中国の「代表」が着ける)姿の彼のため、ベンが服を買い揃えると「ぼくの父親は必死に働いて一年で50ドルしか稼げないのに、あなたは今日だけで500ドル使った、なぜですか?」。このくだりはともかく、後も続くカルチャーギャップネタは、結局のところ「クロコダイル・ダンディー」なんかと大して違わない(笑)



「彼は中国人なんだから、スペイン人の役はむりよ」
マーロン・ブランドは日本人の農民の役をやったぞ」
「(ため息)あれは素晴らしかったわ…」