今日と明日の間で



ダンサー・首藤康之の2010年を追ったドキュメンタリー。
私はダンスのこと全然知らないけど、彼の「普通じゃない」感じの顔がまず好きだ。本作では全体的に顔のアップが多いのが楽しかった。始めと終わりは、この映画のために作られた踊り。とても気持ちよく、いつまでも観ていたくなる。暗がりから彼の顔が現れ、こちらを見つめて終わる。


「今いる処 東京」。ガソリンスタンドの隣のビルにあるレッスン場に、彼が自転車でやってくる。ニット帽を被ったまま、シンプルな動きで体を温めながらルームシューズを脱いでいく、その様子を見ているだけで面白い。「バレエって体を意識することだから/団に居た頃は誰かが見ていてくれたけど、独りになってからは、毎日テーマ(体の箇所)を決めることにしてる」。傍らに置かれた人体模型。意思の通った手や足の指。
「時の庭」の公演の様子。乾電池などの廃物?を使った作品を展示したスペースで、振付師の中村恩恵と踊る。その後の食事会で、二人は「若さ」について語る。「(バレエは)40になったら爺さん婆さん、の世界だからね」「若さはやっぱり素晴らしい、若いダンサーは大好き」「でも自分が40になったらまだまだ踊りたい、60になっても踊ってやるぞって」。次いで「この時期にドキュメンタリーの依頼が来てよかった」という話。「(胸を指して)ここを開くようになった、開いても入ってこないものは入ってこないし、閉じていても入ってくるものは入ってくる」。


「バレエに出会った大分」。かつて通ったバレエスクールを、50周年記念公演の振付のために訪れる。教室に男の子は独りしかいないのが寂しい。なかなかすてきな子で、カメラもちょこっと彼を追う。
川辺で過去を語る。「(高校を四日で辞めたことについて)学校が嫌というより、他に居場所を見つけてしまったから」「当時は若くテクニックがあるのがいいと思ってたから、一分一秒をムダにしたくなかった」。そうした言葉の後に、24歳の頃の映像が挿入される。リハーサル中「仮面を取ったら、糸が切れた操り人形のように倒れるんだ/難しいけど、自分のやり方を見つけて」とモーリス・ベジャールが指導する。


首藤や振付師、同期のプリマなど皆、喋る時に説明する手付きがすでに「ダンス」めいている。それならば、ダンサーと役者の境目って何だろう?と思っているところに、マイム舞台「空白に落ちた男」や、「アポクリフ」公演の映像が挿入される。そういうことなのだと思う。どんなジャンルにも、ジャンルを越える者(ってへんな言い方だけど)が現れるものだ。そういう現場をもっと見ていきたいと思う。
ただ、例えば私は、古典バレエには「お姫様」「王子様」的イメージがあり昔から好きになれない。でも「自由」に踊るためには、あるいはそういう踊りを深く味わうためには、「古典」の基礎がなければ難しいだろう。そういうジレンマって、なんだか落語みたいだなと思った(笑)