闇の列車、光の旅


中米のホンジュラス。少女サイラは、父と叔父との三人でアメリカへの不法入国を目指す。グアテマラ、メキシコを経て、目的地はニュージャージーだ。
メキシコのとあるギャング団の一員である少年カスペルは、移民から金品を奪うため、リーダーと共に貨物列車の屋根に上がり込む。そこにはサイラたちが乗っていた。



原題「Sin Nombre」は「名無し」という意味のスペイン語だそうだけど、この邦題もわるくない。黒々とした闇の中、現れる列車。到着を待って線路の上で寝ていた者たちが次々と起き出す様子が印象的だ。


予告編から想像してたより、ずっと「娯楽的」な映画。描かれるのは不法移民とギャング…ということでロードムービー+ギャングものとして味わえる。
のろのろ進む貨物列車の屋根の上、「早くて2週間」「ほとんどの者はたどり着けない」命懸けの旅。突然の雨にシートを被ったり、通り過ぎる土地によって全く違う物を投げつけられたり、山頂の像を目にしてお祈りしたり…そして、次第に周囲は「都会」になってゆく。
一方、サイラとの「出会い」により、組織を「裏切」ってしまったカスベルは、かつての仲間に追われるはめになる。携帯電話に「殺す」とメールが来るあたり、ギャングの日常生活をしのばせる(知らないけど)。手下だった「チビ」が、組織のために彼を殺すと宣言し、同じ年頃の(ギャングではない)仲間に銃を自慢するシーンに胸が痛くなった。


「なぜこうなった?」と頭を抱えるカスベルと、「一緒にいたい」と彼を追うサイラ。やがて二人は、共にゆく道を選ぶ。カスベルのサイラに対する「絶対に(先に渡米している)家族を探すんだ」というセリフに、真心を感じた。
自分と同行することの危険を諭すカスベルに向かって、サイラは「あなたを信じてるわ」と言う。俗に(テレビドラマなどで使われる場合)男女の仲で「信じる」とは「嘘をつかない」ということだけど、この場合は違う。「信じる」とは、自分にとってただ「信じる」対象になる、そういうシンプルなことなのだ。
サイラが叔父に「あいつに関わるな、命令だ」と釘を刺されるシーンでは、あのとき何もしなかったくせに!と思ってしまった。カスベルは過去の経験がなければ彼女を助けなかったかもしれない、あの状況では父も叔父も手を出せるはずがない、そう分かっていても、あの場で「助けてくれた」ことは絶対だ。


ギャングのリーダーが、サイラについて「サルマ・ハエックに似てる」と言うので、どんな映画観てるのかな?と思ってしまった。