アバター


22世紀。人類は衛星パンドラで発見した希少鉱石の取得を目論んでいた。元海兵隊員のジェイク(サム・ワーシントン)は、亡くなった兄に代わり採掘のためのプロジェクトに参加する。それは鉱脈の上に暮らす先住民ナヴィと人類のDNAから作り出された肉体「アバター」を操縦し、仲間として彼等と交渉するというものだった。


「頭の空っぽ」なアメリカ人青年が、自分の居場所を見つける話。彼は頭が空っぽだからこそ、別世界で生き伸びることができた。



面白かったけど、3D映像を楽しんだという感じはしない(3D版を観たからこそ言えるのかもしれないけど)。私が劇場で初体験した3D映画「センター・オブ・ジ・アース」の、ブレンダンが歯を磨いてぺっ→わ〜かかっちゃう、というような映像に比べたら確かに段違いだけど、私にとってはあっちの方が楽しいとも言えるし(笑)それよりも、他の映画も持っている要素…ストーリーや画の方に惹き付けられた。
ちなみに一番印象的だった3D映像は、冒頭の、低温睡眠カプセル?がずらーっと並んだ様子。奥行きが見事だった。例えばスター・ウォーズシリーズの元老院の会議場なんかが3D映像になったら、壮観だろうなあ。


私にとって面白いのは、作品内の「アバター」という要素のうち、「リンク」していない時に、「アバター」が実体として本人の眼前に現れるというところ。予告編にも使われている「主人公が自分のアバターと対面する」シーンが、一番ロマンチックに感じられた。だって、バカみたいだけど、例えば自分がもう一人いたら(定義はあいまいなのでそのへんは適当に・笑)、体をしげしげ見たり、ケアしたり、色んなことが出来て楽しいだろうなあと想像するけど、この映画におけるアバターは、それに「似た」願望をかなえてくれる。眠っている「自分」の体を、実際に見たり触ったりできる。


作中のジェイクも観ているこちらも、ストーリーが進むにつれ「アバター」という要素を忘れてしまう瞬間があり、また、思い出させられる瞬間もある。そこのところも面白い。
彼がシガニー・ウィーバー演じる博士に「あなた、いつシャワー浴びたのよ〜」と言われるシーンは、「もう一人の自分」にかまけて実際の自分の体のケアがおろそかになってしまう、そのまんまを表していて可笑しい。
物語の最後、ジェイクは愛する人に「本当の自分」を受け入れてもらい、さらにはそれを捨て「なりたい自分」となる。可能ならそれもいいかな?と思う。


アバターとリンクする際にパチパチパチ…というの、他に何か表現方法ってないのだろうか?表現しなきゃならないものなんだろうか?あそこだけ、ものすごい安っぽさと違和感を覚えた。



「ナヴィの体に海兵隊の精神なんて、最高じゃないか!」
 (冒頭、大佐がジェイクに向って。最後のバトルでそれが発揮されることになる)