疑惑のチャンピオン



実に的確にピンを打ってくる映画だった(形を作るための「点」の選び方が絶妙という意味)。それによって浮かび上がるのは、ランス・アームストロングが「The Program(原題)」によって必死に描いてきた「(自分の)物語」が、「(自転車)業界」に認められ守られ肥大するも、やがて崩壊するまでである。


始まってまず映し出されるオープニングクレジットに風、しかし息の詰まる風を感じる。そのうち、それはベン・フォスター演じるランス・アームストロングという止まれない風を見ているからだと分かる。更に、その風は個人では起こし得ないものだということも分かってくる。ランスが一人で山をゆく映像に次ぐ、ツールを説明する冒頭では、競技者の疾走や実際の事故の映像の数々に背筋が寒くなる。同時に、それでもこれ程の人々が熱狂するのが「自転車」なのだと思う。


クリス・オダウド演じるデヴィッド・ウォルシュの登場時間が一割に満たなくても、振り返ると彼が主役のようにも感じられるのは(勿論この映画はウォルシュの著作を元にしているわけだし、私はオダウドのファンなわけだけども・笑)例えば中盤で挿入される、ランスを愛する一般市民の声、あれらは「腐敗への加担」になるのか、もしそうならば、私達が頼れるのは「ジャーナリスト」じゃないのか、と思ってしまうからかもしれない。USポスタルが優勝の「パーティ」に沸く裏で、ウォルシュが仲間に弁を振るう「なぜ気にならないんだ?ジャーナリストなのに」。「気にな」らなければ確かに、映画の最後の最後に示されるランスの言にあるように、彼はチャンピオンなんだろう。


ランスは「自転車業界の恥だ」「自転車業界のことを考えて」などと言って業界の「仲間」を脅す。彼が元チームメイトの夫婦やマッサージ担当の女性を(薬物の話が出そうな時にも、その場から)「払う」ことをしないのは、「自転車業界は一丸だ」と考えているからだろう。ランスがチームメイト達と、自分の映画が作られるという話の最中、主役について誰かが「ジェイク・ギレンホールなら『ドニー・ダーコ』で自転車に乗ってたからぴったりだ」と言うと「乗れるだけでか?」と返すのも面白い。「自転車」というものの捉え方が選手によって違う。アーミッシュの出であるフロイド・ランディスジェシー・プレモンス)が、自分のものでない自転車を売られて憤る姿も印象的だ。


根底にあるのは「皆がやってる(から自分もやらないと振り落とされる)」である。陽性反応を告げられたフロイドは(おそらくランスのことを念頭に置いて)「僕ばかり」と口にし、ウォルシュに記事を書かれたランスは「自転車に乗ったことあるのか?ドーピング漬けの何百人もと!」と憤り、国際自転車競技連合に呼び出されると「東ドイツは?」と言い返す。こうしたことは、様々な業界で起きているように思われる。本作は「内部」の問題(とそれを追及する者)を描いている。しかしベン・フォスターが表彰台で「夢を見られない人はかわいそうだ」というようなことを言う時、何だか希少なものを見ているような気持ちにもなった。ともあれ複雑な味の映画だ。