最近見たもの


▼ウィー・アー・ユア・フレンズ


ある世代の若者の話だった。ふと、ザック・エフロンジェームズ・ディーンに見えた(映画が面白かったというわけではない)。ザックの仲間のメイソン(ジョニー・ウェストン)が、実家住まいの内は親に屋根やトイレを直すよう散々言われても無視しているのに、自分で借りた家は朝から頑張ってメンテナンスしているのが面白かった。


「悪人じゃないけど善人でもない」ザック演じるコールは、「世界」に馴染めていない。何か違うと思いつつ、流されるままになっている。「ホモソーシャル」に対してもそうであることが、ソフィー(エミリー・ラタコウスキー)との出会いの一幕に端的に表れている。二人は居場所こそ違えど似ているが、彼が仕事で(自身の無知から)他人を「騙し」ているのに対し、彼女はうんと年上の男の「母親代わり」に甘んじているというのは、「『非行』は少年と少女では違うふうに表出する」(あるいは、ものを知らない内は格差を助長しがちである)というのに通じる。


ソフィーを肴にする一流大の男子学生らにコールは言ってやるのだ、「君達しごきあってるの?それとも『いくときは一緒』?」。その後の「あんな奴ら実社会じゃ通用しない」が泣ける。だってソフィーの言うように、「でもあいつらが世界を牛耳るようになる」んだから。映画はそんな二人が、それでもやれることをやろう、という場所に立つまでを描く。


▼フラワーショウ!



奇妙な映画だった。冒頭から劇伴込でいわゆる「スピリチュアル」なことを言ってくるんだけど、庭の中に身を置く、というか、何かをして何かを感じることは「あり得る」わけで、この映画はそれを作り出す人の話だから、変な主張ではない。でもしっくり飲み込めない。たまたま、マイケル・チミノが亡くなったというので唯一未見だった「心の指紋」を見たところ、これだって「スピリチュアル」な要素があるけれど、とても理知的だ。こう、自分の足で立っている感がある。


加えて受け入れ難かった理由は、「恋愛パート」が、ここ数年の映画で最も大映ドラマぽかったこと(笑)相手役のトム・ヒューズとの初対面時にはぶつかってノートの中身を見られ、二度目には向こうが上半身裸、色々あって最後に出る「実際のその後」の文章に拍子抜けしてしまった。終盤、メアリーにサインをもらう女性の言う「あなたは世界を変える、just a little bit」、すなわち彼女がしているのは些細なことなのだという考えが全篇を貫いており、強情だけど謙虚、という主人公は魅力的ではあるけれど、その性分が彼とのやりとりでしか表されなかったのが残念だ。


尤も、作中のメアリー・レイノルズの「かつてないほど自然に近い庭を造る」という言葉の意味がきちんと分かればもっと楽しめたかもしれない。彼女が造園について言う「designとはその中に身を置いた人の心を変え、そのことによって世界を変えるもの」とは、「映画」にも当てはまる。でもこの映画のdesignが私にどう働いたかというと、邪魔なものが多くて、彼女が手掛けたあの庭のようではなかった。

ウォークラフト



予告には全く惹かれなかったけど、ダンカン・ジョーンズ監督作と知り出向いてみた。大規模ファンタジーが苦手なのでやはりのれなかったけど、すごくつまらなくはなかった。そもそも「ラビリンス」でボウイ様を好きになったから、息子による「ファンタジー」には感慨を覚えた。ヒト以外の者達の見分けがなかなかつかなかったけれど、そのうち知った顔が続々出てきて楽しい。新人魔法使い役のベン・シュネッツァー、どこかで見たことあるなあと思いつつ分からなかったけど、「パレードへようこそ」のマークか!感じがよく応援したくなる。


印象的だったのは、ベン・フォスター演じる「守護者」が、登場時、あることをするのに梯子を使っている姿。まあヨーダだってああいう時には使うだろうけど(笑)「魔法」を使う人のああいう所って好きだ。不意に「疑惑のチャンピオン」でのフォスターの、「辛くなったら自分は飛んでると思うんだ」とのセリフを思い出した。また、オープニングの「同士」めいた夫婦の描写において、妻が「(背後の)あなたが私を見ているのが分かる」と言うのと、中盤、ガローナ(ポーラ・パットン)がローサー(トラビス・フィメル)に「何を見ているの」と言うのも心に残った。私もそういうことをよく口にする。黙って自分を見させないのって大事なことだ。


ところで、子を産んだ母が全員死んでしまう(描写されるのは一件で、他は登場人物の口から語られるのみだけど)のには何か含むところあるのだろうか?ああいう世界は苛酷ってことかな…