ヴィンセントが教えてくれたこと



予告編に遭遇する度、またこんな「破天荒爺」ものか、げっぷが出ちゃうと思ってたけど、クリス・オダウドが出ているという情報に惹かれて見てみたら、とてもよかった。ひとえに映画の姿勢と役者達、特にヴィンセントを演じるビル・マーレイの魅力による。始めヴィンセントは他者の「whole story」を拒否し、必要最低限の「punch line」(字幕は「要点」)しか聞こうとしない。この映画は、しかし誰もに「whole story」があるというお話。マーレイの、哀しいような狂ったような、一言では言い表せない色を帯びた瞳が合っていると思った。
オープニング、「アイルランド人」のジョークを言う(そして受けない)ヴィンセントの顔つきにまず心掴まれる。そしてすかさず、そのシーンにおよそ似つかわしくないタイトル(原題「St. Vincent」)が出るという妙。



見ながら「愛国心」とは何だろうと考えた。それについての映画だったから。星条旗を掲げた、長いロープでもって迂回させる銀行や、長い机の向こうから話しかけてくる病院に「しくじった奴のことなんか知るか」(ヴィンセントによる「punch line」)と言われても、オリヴァー少年の生まれる前から値上がりしていた電話料金にひどい国だと悪態をついても、アイルランド移民の息子でありベトナム戦争で戦友を助けたヴィンセントは家の要所に星条旗を置き、オリヴァーに出会う朝と「あの時」には年季の入った星条旗のシャツを着ている。二度目のシーンには涙がこぼれてしまった。
星条旗だらけのこういう映画を見ると、同じ旗を掲げていても人それぞれ、心の持ちようは違うということを思う(しかしもしそうするならば、国の理念に沿った言動をすべきじゃないかと思う)尤も「アメリカ人」の星条旗に対する思いなんて、私には分からないけど。


この映画には「アメリカの未来」への気負わない、優しい眼差しがある。ヴィンセントは星条旗をいったん捨てるが、最後には「星条旗」と「アメリカの大地」に「水をやる」(=育もうとする)。中盤、芝なんて生えていない裏庭をオリヴァーに刈らせているのも、芝を管理できる「アメリカの大人の男」に育てようという心づもりだろうか(笑)
その直前に赤ちゃん、すなわち「アメリカの未来」と共に食卓を囲む者達は、赤ちゃんと母親を除いて誰も血が繋がっていない。多様な皆で未来を育てていこうというふうに受け取った。ちなみにこの場面で全員の椅子がばらばらなのもいい、そういう映画って好きだ。


お目当てのクリス・オダウドは教師役!オリヴァーに話しかける際にかがめた腰の高さに、そういや「カムバック!」じゃまさかの「モテ美男子役」だったなと思い出した(笑)メリッサ・マッカーシーの打明け話に素敵な「Shit!」の合いの手も聞けた。完璧な先生じゃないかもしれないけど、この映画は「聖人だって人間である」(「very human being」)というお話だから。
そのメリッサがあんなにもはらはら涙をこぼす映画、今後あるかな(笑)でも「型どおり」じゃないというか、自然というか、引っ越してきた晩の息子に対する「明日はお互いに大事な初日、目覚ましで起こしてね」なんてセリフとか、何ともいい。「ロシア人のストリッパー」役のナオミ・ワッツについては、登場人物の中で最も「近しい」(ように感じる)役柄には厳しくなるのか、ヴィンセントにあんなセリフを言わせる映画だけあって「娼婦」の紋切り型だと思ってしまった。そもそもあんな食生活をしている体に見えないしね(笑)