幸せはシャンソニア劇場から


39年のパリ。下町に建つ「シャンソニア劇場」が、不況で閉館に追い込まれた。裏方のピゴワル(ジェラール・ジュニョ)は、別れた妻に息子を取られたことでやけっぱちになり、仲間と共に再建を宣言する。



フランス映画には詳しくないけど、昨年劇場で「赤い風船」を観てから(感想)、パリが舞台のどんな映画を観ても、あの幾つかのシーンを思い出してしまう。今回もそうだった。「パリを一望する」シーンなど、やりすぎなほどキレイ。最初は三谷幸喜の「マジックアワー」のセットが頭をよぎったけど(笑)


「フランス」に関する知識が多い方が楽しめるだろうなと思う所がいくつかあった。
冒頭、警察に取り調べを受けるピゴワル。「私は下町の出だ」「どこの下町だ?」「『下町』は一つしかない」…このニュアンスが私には分からなかった。ちなみに原題は、劇場の名である「faubourg36」(faubourg=下町)。
「ものまね王子」が無知をいいことに演じさせられる政治コントの内容も、ピンとこなかった(これは笑いのセンスの問題?)。最後に彼は檀上で反抗する。無知であっても、いやなやつというのは分かる。
労使交渉により「週40時間労働、土曜は休日、有給休暇は2週間」という条件を勝ち取るシーンには、70年前にこれかあと、日本との違いを感じてしまった(人生のほとんどは働いてない私が言うことじゃないけど・笑)


映画の「紅一点」は歌姫のドゥース。恋人と逢い引きする際の芝居がかった登場の仕方に、昔読んだ「日本人は女の顔を上から見るのを好むが、フランス人は下から見上げるのを好む」という文章をまた思い出した。
終盤、舞台で歌う彼女の顔がアップで延々と流れるシーンは怖かった。造作がどうというわけではなく、一つの顔ばかり見てると、頭の中の認識装置?がおかしくなってくる。映画において、こういうことってたまにある。
ピゴワルの息子ジョジョを演じたのは、ジャック・ペランの息子のマクサン・ペラン。資産家と再婚した母の元では全然ぱっとしないのに、髪を乱した下町っ子の時はとてもキュートだ。


フランス映画らしいといえばそうなのかもしれないけど、劇場に立つ役者は、ドゥースの歌以外大した芸もなく、ショーのシーンもそう多くない。終盤、裏方だったピゴワルや闘士のミルーがいきなり役者として活躍し出すのが可笑しい。また、ラストシーン自体が、最後を飾る「ショー」のように演出されており、楽しかった。