昔の日記を読む


はてなダイアリー」を付けてから多分初めて、昔の日記を読み返してみた。気恥しくもあるけど、甘い、懐かしい気持ちになった。たわいない記録が、自分だけに向けられた暗号のようにclueとなって、書かれてはいないことを思い出す。


昔と今とでは、文体が全然違う。どっちがいいとかじゃなく、いつからこんなに素っ気ない記録調になったんだろう?(笑)実生活での人当たりはさほど変わってないと思うから、私の「ある部分(この場合、日記の文体)」が変化したということだ。
昨年の夏、隅田川の花火大会に行った際、同居人(パソコンはあまり使わないけど、この日記は読んでいる。初めて見たとき「『はてな』って○○ちゃん(私)がやってるの?」と言われた・笑)に「何時くらいにどの程度の人出だったと書いておけば、来年役に立つんじゃない?」と言われて、そういう意義もあるなあ、と思ったものだ。だからというわけじゃないけど、以前は旅行や外食などは2、3割を記す程度だったけど、ここ一年ほどは8割方書き留めているように感じる。とはいえこれからまた書かなくなるかもしれない。今は撮るの嫌いな写真も、そのうちはまるかもしれない。


私は他人の日記(というか、ウェブにアップされているものの殆ど)を「誰かの息吹を感じる」ために読む。だからこの日記も、もし読む人がいるのなら、その人にとってそういう存在であればいいと思う。受け取り方を左右するつもりはないけど、書くためには方向性が必要だから。
日記を書き始めた頃(正確には2001年頃からだけど、はてなに移る際に削除してしまった)もそれ以前も今も、私はいつも、寂しくて仕方がない。日記を付けることでそれが解消できるとは思わないけど、何らかの行動をするのは、悪くないと思う。